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タイトルバック イーストウッド御大は名監督であるまえにやはり名優なんです。 タイトルバック
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タイトルバック 「ザ・シークレットサービス」 タイトルバック
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タイトルバック 2012.05.13 タイトルバック
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 「LA大捜査線 狼たちの街」では偽札事件を追ったシークレットサービスの捜査官ですが、シークレットサービスといえばやはりイメージは要人警護。まっさきに頭に浮かぶのは大統領専用車の横を車に手をついて小走りしている姿だったりします。今回書くのは、そんな大統領警護のシークレットサービスの捜査官と大統領暗殺犯との戦いを描いた「ザ・シークレットサービス(93年/アメリカ)です。

 シークレットサービスの捜査官でベテランのフランクと相棒の若いアルは偽札事件で囮捜査中、危機に陥るが何とか事件を解決する。事件後、通報のあった異常者の調査にむかったフランクは、そこで明らかに異質な部屋を目撃する。部屋の主が戸籍を詐称していたことから逮捕するためフランクとアルは再びその部屋に入るが、すでに片付けられていて部屋の壁には一枚だけ写真が。それは30年前のダラス、あのケネディ大統領が暗殺される前の写真であり、その同じ写真には若き日のフランクも写っていた。そしてその夜フランクの部屋に1本の電話がかかる。それはあの部屋の主からで、ブースと名乗った男は大統領を暗殺することを宣言する。フランクはアルに捜査を継続してもらいながら、自身は大統領付きの警護に志願した。しかし、年を取り過ぎたフランクは体力的におぼつかず、同僚で女性捜査官のリリーだけは彼に理解を示すものの、遊説先の警備で致命的なミスをし、警護任務をはずされてしまう。そんな時、アルの持ってきた情報からブースの住所をやっと突き止めた二人は家に侵入、そこでCIA局員と鉢合わせする。そして分かる男の正体。ブースの本名はミッチ・リアリー。彼はかつてCIA局員であり、そして暗殺要員だった…。

 要人警護という他の刑事物とは違うコンセプトの主役を描いたアクションサスペンスの本作。そんなこの映画で主役を演じたのは名優クリント・イーストウッドでしたが、公開当時話題になったのはこれはイーストウッドが主演のみに専念していた映画だったということ。彼の主演作といえばその頃はほとんど監督も自身が担当し、制作も自分のプロダクションであるマルパソ・カンパニーであることが通例だった彼にとって、この映画は久しぶりの俳優として招かれた映画だったのです。

 もともとシークレットサービスを主役にした映画を作りたいと始まったはずのこの映画。しかしながら主役のフランクのキャラクターは、そうとはおもえないほどイーストウッドと重なります。往年のヒーローで、今でも現役のタフガイ。ピアノを愛し、女性好き。しかも、相手は白人でブロンド美人とくれば、思わずほくそえんでしまうほど。最初の脚本からこうだったのか、後から設定されたキャラクターなのかは知りませんが、公開された映画を見る限り、これもまた間違いなくイーストウッド印の映画であると断言できるのです。

 それにしても、本当にイーストウッドの年のとり方は格好良いです。この映画もそうですが、彼は自分の年に応じたキャラクターやテーマ性をもった映画を作り続けます。若いときはそのパワーを圧倒的に見せながら、年を重ねたらその年輪の分だけ世の中と人生のかかわりと重さをじっくりと放ち続けます。それは、人が長く生きるということの哀しさであり、憐れさであり、はかなさであり、でも、楽しさであり、美しさであり、愛おしさでもありました。

 イーストウッドの名前は随分前から自分の記憶にはありました。好きといえるようになったのは多分中学生くらいで、昔の映画をTVで観たことがきっかけだったと思います。初めて映画舘で封切りの主演作を観ることができたのは高校生のとき。ただ、そのときにはすでにTVで見ていた姿からは時間が経っているのがすぐに分かるくらい、髪も白く額も後退していました。憧れた格好良さには翳りなどありませんでしたが、それでも時間というものを恨めしく思ったのも事実です。「あといくつ彼の主演作を見ることができるだろうか?」映画を観ながらそう考えた当時の自分。まさかそれから四半世紀たってもまだ彼の映画が観れるとはその時は夢にも思いませんでした。

 時間は過ぎるもの。この映画ではその長い月日が主人公であるフランクの記憶と傷の重さと深さを明確にするファクターとして機能します。時間の重さは30年。”シークレットサービスのベテランエージェント” とともにその30年前に歴史に刻まれた彼を表すもうひとつの言葉が ”JFKを護れなかった男” でした。

 かつて、その有能ぶりからケネディ大統領に気に入れられ、名指しで警護を指名されるほどだったフランク。自身が停職になってまで大統領のプライベートを守ろうとしたほど公私に渡って大統領に尽くした彼は、しかし、世界中が震撼したあの日、あの瞬間、自身の唯一にて絶対的な職務を果たすとことは出来ませんでした。ケネディの命を絶つことになる銃弾が発砲されたであろう窓を見上げながら、彼はその瞬間大統領の盾になることが出来なかったのです。あの時から止まっていた時間。酒におぼれ、家族を失い、たったひとりではいつくばってきた彼。そんな時、再びやって来た大統領暗殺の危機。それは国家的な未曾有の危機であるのは間違いないはずながら、その暗殺犯が犯行に際してフランクに執着したことは、もしかしたら彼にとっての福音だったのかもしれません。”年甲斐も無く” 年を重ねたことが尊敬ではなく、蔑みの対象であったとしても、フランクはもう一度その瞬間に自分をおく決断が出来たのです。シークレットサービスとしての職務に忠実に、ではなく、おそらくは自分の心に忠実に。そしてそれは犯人が彼に与えてくれた絶好の機会でした。そんな犯人との単純な位置関係ではいられない状況を持つフランクを演じたのがこのイーストウッドだからこそ、この物語に説得力とパワーを感じてしまうのです。

 そのフランク=イーストウッドに揺らぎ無く渡り合うのは、大統領暗殺を画策する元CIAの殺し屋を演じたジョン・マルコビッチでした。彼はけっして二枚目ではありませんが、彼の役者としてのキャラクターだけで「マルコビッチの穴」(99年/アメリカ)なんていう映画が1本出来てしまうくらいの個性的俳優。最初に名前を覚えたのはたぶん「太陽の帝国」(87年/アメリカ)だったと思いますが、スクリーンで観るたびに加速度的に無くなっていく髪の毛にものすごく親近感を覚えたりしていました。

 そんな彼が演じる暗殺犯ミッチは、目的を遂げるための手段も行動も全て計画的で準備を怠らず、そして徹底的でした。暗殺用の銃は強化プラスチック製の手作り。探知機に引っかかる弾丸はペンのアクセサリーに偽装。大口の寄付をすることにより大統領に無理なく近づきます。口調も態度も冷静で、それでいながら少しでも不安な要素は迅速に排除する。それがたとえ殺人であっても。また、彼はさすがCIAといえるほどルパン三世なみに変装の名人でもあり、神出鬼没で、まさに自ら嫌悪感をもって表現した”怪物”そのものだったのです。

 暗殺という行為ですら合理的に進めるミッチではありますが、ことフランクを相手にするときにはその行動は恣意的というか挑発的であり非効率的で、なにより感情的でした。しかし、なぜこうまでフランクを強く意識するのか? そもそも何時彼はフランクに目をつけたのでしょうか?

 ミッチの目的は自分を裏切ったアメリカという国に対する復讐でした。自分を殺人マシーンに仕立て上げながら、自分を捨て、さらに排除しようとしたアメリカという国の自分への仕打ちを、大統領という存在に集約させて、暗殺することで思いを遂げようとしたのです。ですから、最初はフランクの存在は眼中に無かったはずです。おそらく彼がフランクを意識したのは、最初に彼が自分の部屋に調査に来たときではないでしょうか。少なからず彼のことを知っていたミッチにとって、フランクもまた自分と同じアメリカの濃い部分から殺ぎ落とされた存在だと考えたのでしょう。そんな自分と近しいと感じた男が偶然自分を調べに来たことから、彼はフランク相手にゲームを思いつく。でもそれは単純な狂人の気まぐれとは思えないようなものでした。

 おそらくミッチがそのまま大統領暗殺を実行すれば成功するでしょう。それほどにミッチの能力は圧倒的に見えます。しかし、それに到るまでの、そして事を成した後のモチベーションに彼は疑問を感じたのかもしれません。なによりも今自分が遂行しようとすることが復讐であることを広く世の中に伝えなくては。別にミッチはフランクをライバル視しているわけではないのでしょう。彼の行動はフランクを通して自分の存在を誇示しようとしたのではないのかと思っています。フランクを自分と同じアメリカに裏切られたものとして同情を見せますが、その論理は彼の性質からすると相当に無理があります。これは本気で思っているのではなく、フランクと自分を同じ穴の住人としてカテゴライズしたかったのではないでしょうか。すでに人間とはいえない自分を理解出来るかもしれないフランクは、自分の考えも行動もフランクが一度斟酌することによってその存在はただの異常者では無くなる。フランクの思いも加味しながらミッチという人物は絶対的な敵として形作られ、その存在は確固たるものになるのです。フランクはミッチの代弁者とされたのかもしれません。

 もしかしたら、フランクに目をつけた時点でミッチは暗殺の成功の是非さえも問わなかったのではないでしょうか。でなければわざわざ不自然に会話の途中にヒントを与え、証拠まで残す必要はありません。ただ漠然と暗殺を遂行するよりもそれが価値のあるもののように思えたであろうミッチ。なによりミッチはフランクと話すときは楽しげだったではないですか。会話の中でミッチはフランクを友達と呼びますが、それは皮肉や冗談ではなく、本気で友達、もしくは友達になりたいと思っていたのかもしれません。

 お互いに敵視しあい、対立し、命を掛けて戦う二人ではありますが、守る側と攻める側という立場の違いもありながらこの二人にはまるで共依存関係さえ感じてしまいます。その戦いは後半ビルの屋上で繰り広げられる追跡劇から(しかし、どうしてイーストウッドの相棒はいつもこうなってしまうのだろう)、カットバックで二人の行動をテンポ良く描き出しつつ、最後の襲撃シーンへ集約されていきます。ミッチを見つけるフランク。銃を構え、引き金を引くミッチ。とっさにフランクは大統領とミッチの間に飛び込む。あの時出来なかったこと、どうして出来なかったか自分でもその理由が定かではないながら、今度こそフランクはその犯人の凶弾を受け止めるのです。

 暗殺は盾になったフランクにより失敗。そしてエレベーターでの篭城戦の後、ミッチは絶命します。半分自殺のようにも思える死に方でしたが、自分が一番印象深いのはラストシーンでした。全てが終わり、フランクがリリーを伴って戻ってきたフランクの部屋で電話から流れるひとつの伝言。それは死んでしまったミッチからのメッセージでした。「もうきっと終わっているだろう…」そう始まるメッセージの内容で、襲撃前から自分が死ぬこともフランクを殺す意志が無かったことも分かります。静かな口調で語り続けるミッチはフランクの今後の人生に思いを馳せながら最後にこう言います。「我々善人は孤独な道を往くしかない…」

 自分を善人と評しているのも凄いですが、ミッチが自分とフランクとの共通点であり仲間意識をもったカテゴライズが”孤独”であったことが初めて分かります。だからこそ彼を友達と呼んだのです。何かとても哀しく感じてしまう場面ですが、更に哀しいのは、フランクとリリーがそのメッセージを最後まで聞かずに部屋の電気を消して外に出て行ってしまうこと。孤独といわれたフランクの隣には今はリリーがいます。そんな孤独ではなくなったフランクにとって、ミッチはすでに過去の、価値の無い存在のように扱われてしまっているのです。「では、幸運を…」誰もいなくなった真っ暗な部屋の中で聞こえるミッチの声は、あまりにも哀れでした。

 この映画の監督はヴォルフガング・ペーターゼン。この監督の作品ですぐに思い出す映画といえば、やはり傑作「Uボート」(81年/ドイツ)でしょうか。そして世界的にヒットした「ネバーエンディングストーリー」(84年/ドイツ)。ドイツ映画という正直規模の小さい市場から出てきた監督は、ドイツ映画史上もっとも成功した監督としてその後ハリウッドで映画を撮るようになりました。そんなペーターゼン監督で気になるのがその作風。先の2作を含め、非常に奥の深い、いかにも外国人監督としての視点を持っていたように思っていたのに、その後は、本作を初め、「エアフォースワン」とか「トロイ」とか、いかにもアメリカ人達が喜びそうな映画ばかり作っているような気がしたのです。その作風もテーマ性などほとんど感じさせず、娯楽性に徹したつくりに思えます。この映画でも例えば大統領補佐官のいかにもというキャラクターなど分かりやすい人物描写や演出などは、ハリウッドしか知らない何所ぞのアメリカ人中堅職人監督のようです。まあ、個人的にこの傾向がもっとも強く感じるのはフランス人のローランド・エメリッヒ監督だったりするわけですが…。ペーターゼン監督にはもっとドイツ人としての視点を意識したような映画も作ってほしいかなとも思っています。

 

 今回、クリント・イーストウッドの映画について書いたので、あと何本かこの大好きな俳優の映画について書こうと思ったのですが、せっかくシークレットサービスを描いた作品でもあったので、イーストウッド映画はその次まわして、次回はシークレットサービスの日本版であるSPを描いた作品について書こうと思います。とすれば、当然岡田准一主演の「SP 警視庁警備部警護課第四係」になるのでしょうが、天の邪鬼である自分ですので、別の物語にます。次回は緒形拳主演の2時間ドラマ「動く壁」です。

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