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タイトルバック 44マグナムが訴える「誰が為の権利」 タイトルバック
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タイトルバック 「ダーティハリー」 タイトルバック
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タイトルバック 2012.08.14 タイトルバック
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 けたたましく鳴る警報ベル。そこかしこから響く女性の悲鳴。壊れた消火栓から吹き上がる水があたりの乾いた道を濡らす中、周りの騒がしさを余所にホットドックを頬張りながら、悠々と歩を進める長身の男。右手に大きな銃を下げたその男は、倒れている黒人の男に近づくと、笑みを浮かべながら銃口をつきつけてこう言うのだ。「ああ、考えてるな。今俺が撃ったのは5発か、それとも6発か? 実は俺も夢中で何発撃ったのか覚えていないんだ。だが、この銃は44マグナム。世界最強の銃だ。お前の脳みそなんか飛び散るぜ。考えろよ。今日はツイてる日か? さあ、試してみるかい、悪党。」問答無用に格好良いこのシーンに説明は不要。今回は傑作「ダーティハリー」(71年/アメリカ)について書きます。

 屋上のプールで泳いでいた若い女性が狙撃される。犯人は脅迫状を送りつけてきたスコルピオと名乗る男。次の犠牲者をだしたくなければと10万ドルを要求する。捜査を開始したのはサンフランシスコ市警のハリー・キャラハン刑事。周りの全てに怒り、汚い仕事ばかりをこなすことからダーティハリーと呼ばれる彼は、新しい相棒のチコとともに、金を払わない市を追い込むため再び狙撃をした犯人を追跡、追い詰めるが逃がしてしまう。報復として少女を誘拐したスコルピオ。ついに市長は要求をのみ、金を払うことを決める。その金の運び屋を志願したハリー。振り回された挙句、暴行を受けるハリーだったが、ついにスコルピオを夜のスタジアムに追い詰める。自らの権利を主張し、怪我の手当てを求めるスコルピオにハリーは聞く耳をもたず、誘拐した少女の居場所を無理やり吐かせる。しかし、見つかった少女はすでに死んでいた…。

 同じ年に公開された「フレンチコネクション」とともに、刑事アクション映画という新しいジャンルを確立させたこの映画は、主演のクリト・イーストウッドを一躍スターダムに押し上げ、オファーを断ったフランク・シナトラを激しく後悔させたという話が残るほどの大ヒットを記録。特に人気を博したのが彼が演じた主人公ハリー・キャラハンというヒーロー。”周りに迎合せず、組織からもはみ出し、自らの正義のもとに力を持って犯罪者を圧し、時には征す” そんなハリーのキャラクターは一目みて忘れられないほど強烈で、後に量産されるアウトロー刑事たちの先駆け的なイメージとして、今でもTVや映画で名前が出てくるほど巨大な印象を与えました。

 彼の愛銃S&W44マグナムM29もその強烈な印象の大きな要因でした。しかめた表情でおもむろにホルスターから抜いた銃を構えるハリーの姿がとにかく格好良いのはもちろんですが、劇中「世界最強」とハリーが言い切るほどのその破壊力は、他の拳銃の発射音が「パンパン」と聞こえるのに対し、44マグナムの「ドン!」と響く音だけで有無をいわさず納得させられてしまうほど。登場人物の使う銃など全く気にしなかった昔でも、ルパン三世のワルサーP38とハリーの44マグナムだけは名前を覚えてしまうくらい立派なキャラクターとしてしっかり存在していました。まあこれは銃社会ではない日本の当時の映画やTV全般の制作者の意識自体がそうだったと思いますが。この映画でもハリーの「44マグナム」というセリフが昔は「大型拳銃」と訳されていましたし。

 そんなハリーに映画の中で互角に渡り合うのが、これまた危なさでは随一のキャラクターをしめす凶悪犯スコルピオ。演じるアンディ・ロビンソンはもともとキャスティングされていたわけではなく、前任の俳優が直前に飛行機事故で亡くなったための緊急オファーだったそうですが、凶悪な顔も強靭な身体も持っていない彼の容姿も、それがかえって危うさと不安さを煽っていてこちらも忘れられない印象を与えました。

 ただ、その犯人像は、映画制作当時、やはり映画の舞台であるサンフランシスコで実際に起こった惨劇「ゾディアック・キラー」の事件の犯人をモデルにしていると後に知りました。正直、映画的に映える凶悪さを持ったキャラクターとして創造されたのかと勝手に思っていたのですが、このスコルピオという殺人犯は、映画公開時にはまだ未解決で捜査も続行中という当時の観客にとっては最もリアルな犯人像だったというわけです。ゾディアック事件に翻弄される人々を描いた近作「ゾディアック」(07年/アメリカ)では、まさにそのゾディアック事件の捜査員や事件記者などが、劇場でこの「ダーティハリー」を鑑賞しているシーンがありました。「観ていられない」そういって途中で席を立つ男性には、この映画はあまりにも生々しく思えたのかもしれません。

 様々に印象的なエピソードを持つこのダーティハリーという映画。映画なんかほとんど観なかった小学生の時からそのタイトルだけは知っていましたし、その後イーストウッドが好きになった頃には自分は当然観ていると思っていました。思っている、というのはTV放送を観た記憶がシーンごと断片的にあったためで、映画が趣味になった学生時代、実は初めから終わりまで1本の映画として通して観ていないことに気がついてしまったのです。これはいけないとその時ビデオをレンタルして改めてきちんと観ました。やっぱり凄い。やっぱり格好良い。やっぱり面白い。そう満足感に浸りながら、観終わった後に今まで知らなかった少しばかりの違和感をその時はじめて感じたのです。

 ハリー・キャラハンというキャラクターを創造したとき、この映画の脚本家は勝ったと思ったに違いない、そんな空想をしていました。映画のストーリーはそのハリーというキャラクターの魅力が存分に発揮されるようなものを後から考えたのだと勝手に思っていました。だからこその何か違うという感覚。それらを感じたのは映画後半の重要な一連の流れであるはずの部分でした。身代金を抱えて犯人の言いなりに走り回り、襲ってきた犯人に対して無抵抗で殴られ続けるシーンは、悪党に対しては容赦のないハリーのキャラクターとしては少しそぐわないように思えてしまいました。また、その後ハリーがスタジアムでスコルピオを逮捕しながら、ハリーが加害者の権利を通告しなかったためにスコルピオは釈放され、あまつさえ彼が大怪我を偽装してマスコミの前に登場しハリーを社会的に追い詰める部分などは、何の感情も示さず、人を殺すために銃を撃っていた凶悪犯のスコルピオの手口としてはあまりにも姑息というか回りくどく思えたのです。ですから、随分後にこの映画の本当の成り立ちが自分の想像とは違っていたを知り、やっと違和感の感じた理由を理解出来たのです。

 映画「ダーティハリー」は最初、主人公が今とは随分と違う引退間近の老刑事という設定だったそうです。ストーリーはその老刑事が連続殺人犯を捕まえながら、ミランダ権を通達しなかったために犯人が釈放されてしまうというものでした。ミランダ権。「お前には黙秘する権利がある。お前には弁護士を雇う権利がある…。」アメリカの映画やTVで刑事が犯人を捕えたときに必ず聞かせるこの文言は、かつてミランダという男が起こした誘拐レイプ事件で犯行を自白しながらもミランダが自分の権利を知らなかったため裁判で自白が無効とされたことに起因し、それは必ず容疑者に通達しなければならない警察官の義務となったものでした。

 確かにそれはかつて腐敗した警察官の不当な逮捕や取り調べの名を借りた暴行や偽証などから容疑者といわれる人たちを守るためのものだったかもしれません。しかし、常に保護され続けるようになった容疑者の権利に対して、いっこうに省みられることのない被害者の権利。法が守るべきは被害者ではなく加害者なのか?「死んだ権利」と名づけられた最初の脚本は、実はハリーのキャラクターに依存しない、深いテーマ性をもった映画だったのです。

 ダーティハリーの映画としての根幹は、まさに自分が違和感を感じた部分にこそあったのだと知りました。それなのに自分はそれが全くわからず、「ハリーらしくない」なんて思っていたわけで、心の中では相当恥ずかしかった覚えがあります。確かに純粋にこの映画のストーリーを追っていけば、分かるべきものでした。ハリーも確かに守られない権利について憤りを顕にしていました。でも、ハリーの格好良すぎるキャラクター像がそれらを覆い隠し、最も根深い部分を曖昧にしていたようにも思えます。もしかすると悪いのは脚本を書き直し、ハリー・キャラハンという映画史上に燦然と輝く主人公像を作り上げたジョン・ミリアスではなかろうか? と思う事も… … …? 。

 冒頭で書いたシーンのシビれるセリフはジョン・ミリアスが書きました。ハリーのキャラクターや愛銃も100%ミリアスの趣味でしょう。銃と戦争をこよなく愛するこの映画人にとって、老刑事の必死な姿などには魅力を感じなかったのかもしれません。その結果の”お不潔ハリー”だったと思いますが、(昔のビデオでのダーティハリーの和訳はこれでした!)テーマ性を含めて改めて観てみても、やはりこの映画の主人公はハリー・キャラハンがふさわしいと思うのです。

 テーマ性を打ち出すだけではダメなのです。感じる憤りが被害者の立場のものである限り。ハリーが法をはみ出すのは法が被害者を守らないから。だからこそ強いハリーが犯罪者を裁くのです。犯罪者に対するハリーの激しい怒りは被害者の怒りでした。犯人に向けるハリーの銃口は被害者の告発でした。ハリーは被害者の代弁者として犯人の前に現れ、被害者の無念の大きさのままに犯罪者を駆逐するのです。44マグナムの過剰とも思える威力でさえも、被害者の苦しみには程遠いのだという想いのもとに…。

 

 次回も引き続きイーストウッド映画について書きたいと思います。次回は「ガントレッド」です。

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