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タイトルバック 等身大の人間達が選んだSPという因果な職業 タイトルバック
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タイトルバック 2012.06.12 タイトルバック
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 要人警護といえば、アメリカのシークレットサービスに対して日本ではやはりセキュリティーポリスことSP。岡田准一主演のドラマ&映画「SP 警視庁警備部警護課第四係」で今や知らない人はいないほどの知名度ですが、考えるとそれ以前でSPが主人公の映画というのを正直自分は知りません。TVドラマで考えてみても思い出せるのは二つだけ。そのうちひとつは田原俊彦主演の「SPびんびん物語」(88年)。確かあの有名ドラマのスペシャル版だったと思いますが、内容はタイトルから押して知るべしというところで、それほどまじめに観るものではなかったような気がします。しかし、もうひとつのドラマはそれとは対照的な物語でした。今回は1994年放送の2時間ドラマ「動く壁」について書きたいと思います。

 首相が地元での遊説中、暴漢に襲われる事件が起こる。警護をしていたチームの辺見はその犯人を取り押さえるが、翌日のミーティングでチームのリーダー北島からそれに対し叱責を受ける。納得できない辺見の横で、警護課で初の女性SPである白石京子が着任してきた。時に国政は政権交代により新しい首相が誕生し、警護対象は人格的に問題のある田所新首相に変わるが、そんな首相宛てに脅迫文が届くようになる。動物をライフルで打ち殺して首相官邸に捨てていくという手段の脅しも続き、いたずらではないと判断した北島以下SPは警護を一層厳しくするが、首相の無思慮な行動に振り回される。そして首相が出席した就任パーティで、辺見は首相を狙う犯人の銃口を視認、とっさに首相を庇う。しかし、銃声は聞こえず、肝心の弾丸も弾痕も見当たらない。銃撃など無く、恥をかかせたと首相の怒りを買い、任務を外される辺見。本当に間違いなのか?北島と白石は再度調査を開始する…。

 SPという存在は知っていても、それがどういう組織なのか全く知らなかった当時、そのSPを主役にしたこのドラマはとても新鮮に思え、放送を楽しみにしていたことを憶えています。そんなこのドラマでは、そのSPである彼らがどこに所属するどういった組織で、どのような職務を担当しているのかというところから描かれていました。実際のSPを知らないのでこのドラマがどこまで真実を描いているかは自分には分かりませんでしたが、シークレットサービス同様、要人に張り付いてのガードはもちろん、その移動先への先乗りと安全確保、接触する人間の確認など、終始視線をまわりに配りながらチーフの指示のもと確実に職務をこなす様子は、実際もこうなのだろうなと思えるものでした。北島が新しい首相の関係者3000人の顔と名前、経歴を覚えている、というナレーションの中、北島がひとり自分のデスクでリストを必死に暗記しているシーンなどもエリート性を感じながらもとても現実を感じられて、少なくともこのドラマが自分がSPを知るうえでの教科書的な存在であったような気はします。(個人的には料亭で首相が会食している隣の部屋でカップラーメンをすすっているシーンの生活感は大好きでした。)

 ですから、冒頭の犯人を逮捕した辺見をチーフの北島が怒る場面では、納得がいかない辺見に対して同じSPの先輩の新村が何がいけないのかをきちんと説明しています。いわく、犯人逮捕がダメというより、犯人を捕まえる為に要人の側を離れ、結果的にフォーメーションが崩れガードに穴があいてしまうことがいけないのだと。もしそこから別の犯人が襲ってきたら? 狙撃されたら? という理由。当時はそれを観ながらなにかとんでもなく因果な仕事だと思ってしまいました。自分たちがただの「動く壁」でしかないこと、壁は自分からは攻撃しないということを静かにしかし強く辺見に話す北島は、何か少し自分たちのことを揶揄しているようにも感じてしまいましたが…。そういえば、同じような場面はドラマ「SP」にもあったと思いますが、そうだとしたら、たしか岡田准一は要人の警護中ではなく施設の巡回中だったと思うので、怒られなくてもよさそうだった気もします。

 そんなこのドラマではありますが、物語のテーマはSP達の任務を描くというよりも、SPという職業を選んでしまった人たちの群像劇のようなものでした。画面に登場するSP達、首相警護専任なのか分かりませんが、7〜8人のチームの中で特に4人の人間達の人生が描かれます。

 チーフである北島係長は感情を表に出さない、実直なお父さん。倒れた娘が白血病とわかっても、骨髄移植に自分が適合するとわかっても職務を優先する仕事人間。緒形拳が演じていました。

 その部下で腹心的なイメージの新村は、チームの中堅どころ。奥さんと二人暮らしの彼は、やっと子供が出来たことを喜びますが、かつて流産していた過去があるために、妻から仕事をやめて欲しいと懇願されるのです。堅実に職務をこなす真面目な先輩という印象が益岡徹のイメージそのままでした。

 そして若く行動力に溢れるSPの辺見(杉本哲太)。自分では仕事に全力をを注ぎながらそれが認められないことで酒におぼれ、飲み屋の女性を行きずりで抱いたりしちゃいます。

 これら三人は正直当時としても少し前時代的かなと思えるキャラクター設定ではありましたが、それでもやはりこういう人達が世の中では普通だった人物像だと思っていました。しかしその中でひとりいかにも現代的だな(もちろん当時の)と思えたのが、宮崎ますみ演じる紅一点の白石京子。元オリンピックの銅メダリストで、警護課初の女性SP。就任早々北島からお飾りとかイメージアップのための人形とか言われますが、この手の典型的なキャラクターなら、そんな言葉に反発したり、女性であることは関係無いなんて言葉が出てくるところが、彼女は違います。自分の任務が宣伝であることは知っているし、来年は結婚するからこの仕事はそれまでの間だけ。だから死ぬ覚悟なんてありません、だなんて平気で言ってしまいます。婚約者との食事中での愚痴も全開で、「死ぬのが怖いのはあたりまえじゃない!」とか「今まで要人の代わりにSPが死んだことなんて無い。みんなただ自分の仕事に酔っているだけ!」だなんて実もフタも無いことを言っていました。

 特徴的な4人の人物を通して描かれていくSPという職業と多様な価値観。彼等もまたそれぞれに事情を持ち、素直に流れてくれない人生に苛立ち、困惑しながらも、徐々に首相襲撃が現実的になっていく緊張感を通して、次第に心の変化を見せていきます。一番の変化を見せるのは北島の事情を偶然知った京子で、このドラマが京子の主観であったことがやっと違和感なく物語とリンクしていきます。そしてドラマはクライマックスの首相講演シーンへ到るのです。

 青い空と緑だけを背景に持つ田舎道を、それに馴染まない白バイとその後に続く黒い車列が走っていく。一生懸命に小さな国旗を振る地元の人達を脇にみるその車中で、またその先の首相が墓参する墓地の中で、そして講演会場でSPの面々が黙々と職務をこなす…。このドラマで個人的には大好きなこのクライマックスシーンへの導入部。この最も大事な状況に到り、事件と同時進行していた彼ら4人の人生はここで見事に集約されます。それは回想シーンとともに描かれた彼らに去来するそれぞれの想い…。

 娘の手術の日と首相の凱旋講演が重なった北島。自分の骨髄を移植することから手術の日をずらしてもらうように医者に頼みます。信じられないものを見るような妻を横目に北島は担当医からこう告げられるのです。「あなたに万一のことがあれがどうしようもない。自分の命を守ることが娘の命を守ることになるんですよ。」

 「一緒に暮らそう」。酒におぼれ荒れていた自分を支えてくれた飲み屋で働く女性にそう言った辺見。しかし彼女から帰ってきた言葉は「さよなら…」。本当に自分を必要としてくれる男を待つといった女性の別れの言葉を背に、彼は復職します。もう一度自分の職務と責任を取り戻すために。

 屋台で北島と飲む新村は、自分に子供が出来たことを報告します。そして祝福してくれた北島に対して、異動を願い出るのです。「父親になるとわかって急に死ぬのが怖くなった。子供のために生きていてやりたい」。今回の任務が終わったら新村を異動させることを北島は約束するのです。

 「皆本当に命を賭けている。自分もこんな半端な状態では終われない」。そういって婚約者にこれからも仕事を続けることを伝える京子。「自分の命を捨てて他人を守ることにどんな意味がある?」SPの仕事を理解できず、彼女も理解できなくなったその恋人が京子に告げたのは別れでした。

 大きな仕事の前に、彼らが皆、自分の人生にひとつの区切りをつけてこの状況に臨んでいることが分かります。もちろんそれは故意ではありません。しかし、その新しい想いの中で職務を遂行しようとする彼らの姿が、自分にはとても真摯に見えて心地よいのです。

 ついに首相の講演が始まります。しかし、何者かが会場に侵入した形跡を京子が発見。やがてその不審者が立ち入り禁止の照明室に入ったことを突き止めるのです。無線で全員に厳戒を促す北島。全員の視線が照明室に注がれる。同時に部屋に入ってくる若い男。そしてその男はそのままステージに向かって銃を構える!

 死ぬ覚悟で職務にあたる。この言葉が嘘ではないことを証明するように、SP達は何の躊躇も無くいっせいに首相の前に飛び出します。そしてそこに響く銃声! 首相を押し倒しながら幾重にもその身体で壁をつくるSP達。そんなSPの中で銃弾を背に受けたのは新村でした。そして撃たれながらも反撃しようと振り返る新村を襲う2発目の銃弾! 北島はそれを目前にしながらも首相を庇いながら舞台袖に引っ張り込みます。辺見もまた一瞬新村に手を差し伸べるもすぐに首相のガードにまわるのです。舞台袖からSPの塊越しに映すカメラが捉え続ける新村の身体はもう僅かも動きません。それは大切な部下であり仲間でもある新村を助けにいくこともできず、首相のために見捨てていかなければならない北島の悔しさと哀しさの入り混じる視線のようにも思えて、とても哀しく感じるのです。

 このドラマは画的にも演出的にも他の2時間ドラマの枠を越えるものではありませんでした。新村のくだりなど、ストーリー的にもある程度先が読めてしまうようなところもありました。犯人が捕まって尚、人間像も動機も顔さえもはっきりさせる機会さえ与えないことに、ドラマとして偏った印象も感じてしまいました。でも自分の中では凡百のドラマ達に埋もれるものでは無かったのも事実です。SPにとって意味を持たない個人としての犯人。SPという題材を得てここで描こうとしたのは守るべきものとその命だったのではないでしょうか?

 SPも人、しかも自分たちと同じ等身大の人間。当たり前のことですが、しかし彼らの職業が当たり前ではないために、その突きつけられる現実とそこから生み出される葛藤も当たり前に処理できないものになっていました。例えば新村は子供が出来たことで死ぬことを恐れます。彼が守るべき存在がこれから生まれてくる自分の子供に移ったのですが、そのためには自分も生き続けて子供と一緒に時を歩まなければいけないということを理解したのです。彼が決意したのは生き続けるという当たり前のことでした。

 北島に到ってはもっとストレートです。彼は首相を守るために家を空けていることで、息子は襲われ大怪我をします。そして白血病の娘が助かるためには自分の骨髄が必要なのです。精神的にとか、将来的にとか、経済的になどという持って回ったものなどではない、もっと直接的で物理的な理由で娘の命と自分の命がつながってしまっている。娘の命を守るためには、まず自分の命を守らなくてはいけないという当たり前のことを北島はつきつけられたのです。しかし…。北島はあの瞬間、飛び出しました。辺見もそして新村も…。SPである彼らにとってはそれも当たり前のことなのでしょう。

 状況と人によって変わり続ける当たり前という考え。答えは…あるのでしょうか?

 

 次からは前に書いた通り、大好きな俳優のクリント・イーストウッドの映画について書いていこうと思います。次回はイーストウッドの代表作にして代名詞でもある超有名傑作映画「ダーティハリー」です

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