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タイトルバック 哀しき村へ、名探偵再登場! タイトルバック
タイトルバック 「悪魔の手毬唄」 タイトルバック
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タイトルバック 2011.08.07 タイトルバック
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 かつて殺人事件に揺れた山間の小さな村、鬼首村。仁礼家と由良家の勢力争いから端を発したその20年前の未解決事件の調査を磯川警部から依頼された金田一耕助。しかしそこで新たに殺人事件が起こる。殺された由良家の娘の死体は奇妙に飾られていた。それはこの村に昔あった手毬歌になぞらえられたものだった。そして更に今度は仁礼家の娘まで殺される。しかし疑いがかかった老婆はすでに死んでいた。そしてこの連続殺人事件は20年前の事件とつながっていく。

 「犬神家の一族」を大ヒットさせた市川崑監督が、石坂浩二主演で再び金田一耕助を撮ったこの映画。制作が角川映画から東宝に移っての金田一耕助シリーズとしては最初の作品。それが今回の「悪魔の手毬唄」(77年)です。

 この映画、もう何度観たのかは覚えていないほど繰り返して観ました。VHSの時代にはTV放送を録画して、ソフトをダビングして、LDまで買って…(邦画のLDは何故あんなに値段が高かったのだろう)それでもTVで流れているとなんとなくチャンネルを合わせてしまう。そんなにこの映画は何がいいのだろうと思い出すと…。

 まずこの映画の好きな理由のひとつは、明治の頃から姿を変えないまま戦争を経た昭和という時代をはっきり感じさせる背景。山々に囲まれた古い村のかすれた空気を感じさせる雰囲気。そんな辺境という言葉が似合う風景の中で映える殺人事件の死体の奇天烈さとその描写。漏斗をくわえたまま川に横たわる艶やかな着物姿の泰子。小判と分銅に飾られた樽の中のワインに浸かる文子。特に文子の死体が見つかるシーン、歩く辰蔵を横に追うカメラにスッとフレームインする目を見開いたままの文子の死に顔は、普段何気に見ている風景に突然幽霊が通り過ぎたみたいでとても怖い。また、旅館の女将リカの娘の里子の顔半分、体半分の痣のその赤い色がなんとも生々しく、更に幼馴染4人が手毬で遊ぶ子供の頃のイメージカットは、その子供達の顔が日本人形になっていて、人形独特の微妙な無表情とアンマッチな動く子供の体躯にゾクっとする感覚を覚えるのに、最後に映る人形の顔にも真っ赤な痣があって…。こんなとてつもないインパクト一杯の映像は「犬神家の一族」でも見せてくれた市川監督独特の画の面白さだったと思います。

 また映画としての細かいディティールも好きな要素です。例えば二度も描かれる葬式のシーン。ストーリーが進む上での重要な場面でもありますが、会話も少なく静かながら物を食べる音だけがわずかに響く本間と喧騒と慌しさの台所というような、独特の葬式場面の風景は自分の古い記憶にも残っている現実の情景でした。また、細かい事が気になる自分としては、電話を敷くシーンのやり取りや報告する刑事が手帳の文字が読みづらくて灯りを気にするカットなど、さりげない部分でも時代と現実感をにじませて個人的には結構好きなんです。

 でも多分この映画が本当に好きなのは、やはり登場人物の描き方なのかなと思っています。石坂浩二演じる金田一の一生懸命なのに何か達観した感じや、加藤武や大滝秀治のコミカルさにも笑わせてもらいますが、やはりこの映画の主役であろう二人、若山富三郎演じる磯川警部と岸恵子演じる青池リカのキャラクターがとても印象深くありました。普段は柔らかい物腰ながら事件の話や現場に立つと刑事としての厳しい表情や言葉になる磯川警部。しかし、リカの前では照れて頭を掻くばかり。またかつて凄惨な殺人事件で夫を亡くしたリカも、おっとりした話し方でいつも優しい笑みをたたえています。しかもやることは少しヌケている。そんな二人がとても愛らしいのです。ですからこの二人、特に磯川警部にとっては悲恋となった展開が本当に哀しい。クライマックスで金田一の謎解きに耳を疑う警部。「犯人は……、リカさん、か?」絞りだすように声にした苦渋の表情の磯川警部のあまりに痛々しい姿がやっぱり印象的なのです。

 20年前、詐欺を目論んだ恩田とそれをとめようと乗り込み殺されたリカの夫の源次郎が同一人物。泰子、文子、里子、そして歌手として成功した別所千恵の4人の幼馴染の娘達が皆腹違いの恩田の子供。リカの息子である歌名雄にとって恋人だった泰子も結婚の話があった文子も皆兄妹。それが歌名雄の結婚を反対し、阻止しようとしたリカの理由のひとつではありましたが、何より彼女が抱いていたのは他の娘達への強烈な嫉妬でした。恩田=源次郎の四人の娘のうち、二人は差こそあれ良家の娘として育てられ、一人は成功して有名人になった。なのに自分の娘だけが何故? 体の半分に痣を持ったまま生まれ、体も弱く将来への展望も見えない。そんな嫉妬から生まれた憎悪は、彼女にいきなりの最終手段を選択させます。20年前に夫源次郎を手にかけた彼女にとってはそれが当然の方法だったのかもしれません。でも、だとしたら、いやだからこそ恐ろしい。というのも、劇中彼女からは犯人に繋がる挙動はおろか、達成感やまたは後悔を示すような心理描写も表情もなにもないのですから。「犬神家の一族」の高峰三枝子演じる松子には、真相がわかった後にはこちらが納得できるくらいにそれまでの表情や声に緊張感がありました。しかしリカは食事を作る事を忘れるくらいボーっとしているのに、一方で確実に罠を張り、殺人を繰り返していたのです。彼女が取り乱し、殺人を後悔したのは、千恵と間違えて自分の娘の里子を殺してしまったからであって、もし彼女が千恵殺しを完遂していたなら、おそらくは何も変わりなく穏やかな表情で日常を続けていたのでしょうから。

 この「悪魔の手毬唄」は「犬神家の一族」のように煩雑な内容を展開の速さとビジュアルで収めてしまった強引さはありません。また殊更犯人探しをあおったり、ミスリードの描写もありません。殺人事件の起こった小さな村の情景を淡々と切り取ってつなげたような映画に思えます。そこに映る鬼首村の風景は美しくはあっても彩度を持たない力無いもので、そこに生きる人たちもその枠からはみ出るものではありませんでした。そんな歌い継がれた手毬唄しか特徴のないような因習に縛られた村に突然現れた恩田という男。詐欺師だった彼の風体も内職の内容もこの村にはカラフルでミスマッチでした。そしてその恩田が詐欺師に身を落としてしまった原因も、弁士の一辺倒の語り口ではおさまらないトーキー映画という新しい感覚に訴えた強い変革の力だったのです。そして20年の後に東京で歌手として成功した千恵というまたも光に満ちたカラフルで強い色が現れてしまう。そんな周期的に訪れる新しい感覚やまぶしさに満ちた強い色に、絶対にぬりこめられまいとする古い淡色の村の抵抗にも感じてしまったこの物語。鬼首村という存在自体に漂う全編の哀愁が自分はもしかすると一番好きだったのかもしれません。

 東宝制作、市川崑監督、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズはこの後、「獄門島」、「女王蜂」と続き、「病院坂の首縊りの家」で金田一が渡米して終わります。個人的にはどの作品も好きなのですが、考えてみると「獄門島」の三つの俳句からの見立て殺人は「悪魔の手毬唄」と単純に重なってしまいますし、「女王蜂」の財産目的で一人の女性を男たちが奪い合うという内容は「犬神家の一族」を彷彿とさせます。原作と映像化の順番の関係等もありますし、自分も「病院坂〜」の公開時でやっと小学校高学年でTV放送時に観た順番もバラバラだったと思うのでそれほど気になるものではありませんでしたが、リアルタイムで劇場で観た人はもしかすると、だんだんスクリーンから受けるインパクトが小さくなっていくさまに寂しさを感じたのかもしれないと思ってしまいます。「病院坂〜」に到ってはその複雑すぎる内容に、最初に観た時は全くついていけませんでした。いつだったか、この「病院坂〜」がTV放送されたときにTV用に時間が短縮されていたのですが、その複雑さにどこを切っても話が繋がらないと考えたのか、カットした部分の内容を映画の途中で(台詞などほとんど無いシーンに)TV局がナレーションを強引にかぶせて説明してしまうという苦肉の策をとっていたことを思い出します。

 映像化された金田一耕助像について少し。自分が金田一耕助を知ったときはすでにあの”もじゃもじゃ頭にフケ、セルの着物に袴、そしてお釜帽”といったお馴染みの出で立ちで画面の中にいましたから、よく話に出るその前のスクリーンの中の金田一耕助を知りません。最初に演じたという片岡千恵蔵の金田一も、池部良のも、高倉健のも未だに見たことがありません。市川作品以前のもので見たことがある金田一は、岡譲司が演じた「毒蛇島奇談・女王蜂」(52年)とジーパン姿の中尾彬が演じた「本陣殺人事件」(75年)だけでした。「本陣〜」はともかく、「女王蜂」の岡譲司は完全に興味本位で内容は何かオカルトめいていると感じただけでほとんど覚えておらず、ただ背広を着た金田一に会えた事に満足した記憶があります。

 その後、何度も映画化、TVドラマ化され、そのたびに新しい金田一が登場しましたが、市川作品以降は多少のアレンジやオリジナルを目指したものがあっても定着することは無く、基本のあの出で立ちは変わりませんでした。そんな金田一を演じる俳優といえば、ぼくらの世代なら多分石坂金田一以外では古谷一行が演じていたのが最も馴染み深いでしょうか。いつもTVでやっていたような気がします。他に結構印象に残っているのが片岡鶴太郎が演じた金田一で、このときはそのイメージが最も原作に近いといわれていました。原作では”三十五、六でもじゃもじゃ頭の風采の上がらぬ小柄な男、どうといって取り得のないどもり男”というような表現でしたし、石坂浩二が金田一を演じるとき、原作者の横溝正史が彼を”二枚目すぎる”と言ったこともあるそうなので確かにイメージは近かったのでしょう。しかし、その後に演じた俳優が役所広司や、豊川悦司、上川隆也、そして稲垣吾郎など相当にイケメンがそろっていることから、原作に忠実なものと世間が求めているものが同じとは多分限らないのでしょうね。

 

 金田一耕助を表す時に必ず冠する名探偵という言葉。その言葉が現在最もふさわしいのがおそらくは浅見光彦でしょう。という訳で、次回はその浅見光彦が活躍する映画「天河伝説殺人事件」について書きたいと思います。

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