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「ジャッキー・ブラウン」から随分と音沙汰なしで、心配になったこともあるクエンティン・タランティーノ監督の4作目の話が出たときはかなり期待しました。いろいろな情報が錯綜して、挙句には2部作になったりして。そして公開されたスクリーンの中の映画は、今まで以上に趣味全開のまさしくタランティーノの映画でした。というわけで今回は「キル・ビルVol.1&2」(03.04年)です。 |
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ユマ・サーマン演じるザ・ブラインドが、かつて殺し屋だった頃のボスで恋人、そして自分のおなかの中の子を殺し自分も4年間生死の境を迷わせた男、”ビル”とその仲間に復讐していく物語。基本的なストーリーこそ今までに散々作り続けられてきた復讐の旅の物語なのにそのデティールはストーリー以上に過去の作品群へのオマージュの固まり。しかもそれとは分からないほどにディープ。ひとつのストーリーとして考えてもVol.1が日本映画、Vol.2が香港映画のテイストになっていて、それぞれ前者がアクション重視、後者はドラマ重視とはっきりと分かれていて、本当に元は1本の映画なのかと疑いたくなるようなもの。でも、そもそも劇中の1パートが突然アニメになっていたり、タランティーノお得意のパートの時間軸の入れ替えがあったりと、奔放な映画づくりは今までと変わらないからすぐに楽しむ方向へハンドルがきれます。 でも、やっぱりVol.1が好きですね。映画は邦画のテイスト満載に問答無用に突き進んでいくんですから。そもそもこの映画のイメージは梶芽衣子の「修羅雪姫」(73年/日本)とアニメ「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(00年/日本)がもとになっているとのこと。両方とも観たことのなかった自分は映画を観たその日にレンタルビデオ店に借りに行きました。なるほど「キル・ビル」は、”若い女性が日本刀で敵をぶった切りまくる”というシンプルなシチュエーションからスタートしてるのかと一人納得。(でもそのとき「修羅雪姫」はビデオ店になかなか置いてなくて、小さなビデオ店でやっと借りられたんですが。もちろん釈由美子版ではないです。)特に「修羅雪姫」は主人公像がユマ・サーマンと重なるのはもちろん、純白の着物に身を包んだ主人公の雪が真っ赤な返り血を浴びるシーンなど、そのままラストのルーシー・リューと重なります。 他にもとにかく、一見するとクビを傾げたくなるような変なこだわりはいっぱい。見えないだけではっきりとそれが分かるワイヤーアクション。パイ・メイがアップになるときの独特のカメラのズームの動き。ラストの対決シーンでしんしんと降る雪は薄くて四角くて明らかに紙吹雪。これらをわざとやっているとしか思えないのは、全部自分達の古い記憶のどこかにある画ばかりだから。特に凄いなと思うのは、ユマ・サーマンが飛行機で東京へ向かうシーン。眼下に広がる町並みは全部ミニチュア。東京で暴れるゴジラが好きだったタランティーノは、わざわざゴジラシリーズの特撮美術担当者に作らせてしまった。(そのシーンの出来の良さから本物に見えてしまわないかを逆に心配したというのがいかにもタランティーノらしい。)他にも飛行機が飛ぶ空の色を「吸血鬼ゴケミドロ」(68年/日本)と同じにするようにこだわったりもしています。このあたりなんかやっぱり凄く分かる。自分の中で例えるなら随分昔に見た「マタンゴ」(63年/日本)。ストーリーも思い出せないような映画なのに、主人公が窓の外から見る、ミニチュアでつくられた町並を覆う夜の闇の色だけは忘れられません。他の映画で見るのとは違う不気味で不穏な闇の色でした。 そんな中でやはり一番のこだわりはサニー千葉こと千葉真一。かねてより、千葉真一ファンを公言しているタランティーノ。処女脚本の「トゥルーロマンス」の主人公はエルビスとサニー千葉のファンという設定で、映画は開巻一番千葉真一のアップから始まりますし、「パルプ・フィクション」のジュールが殺す相手に聖書の一説を読み聞かせるのも千葉真一がイメージだといいます。そんなに好きなら映画に出せばいいのにと思っていたこともあるから、これは本当に嬉しかった。その千葉真一が演じるのが服部半蔵。80年代のアクション時代劇ドラマ「影の軍団」の役そのままに映画で登場します。これがいい。本当によかった。確かに劇中の服部半蔵は代名詞となる忍者としてではなく、刀鍛冶の名匠という設定で登場します。しかも表の顔は寿司屋。違和感を持つ人もいるのかもしれないけれど、そもそも「影の軍団」というドラマシリーズはシリーズごとに出てくる主役が全員別人で、生きている時代も200年以上幅があるくらいに全然違う。彼らの共通点は主人公が服部半蔵に代表される伊賀の忍者の頭領であることと、それを千葉真一が演じていること。しかも皆、湯屋とか何でも屋とか表向きの商売を持っていた。つまり「キル・ビル」に出てきた服部半蔵はこれら「影の軍団」の設定をしっかり受け継いだ「影の軍団 現代編」の主人公といえるほどに完璧に創られているのです。そばにはちゃんとがま八がいるし。こんなコアなことを日本人じゃないハリウッドの映画監督が考えるのだから嬉しくなってもしょうがありません。 設定やディテールばかりの話になってしまいましたが、もちろんそんなことを気にしなくても凄いし、格好いい。タランティーノといえばバイオレンス映画みたいな言われ方もしますが、それまでの彼の作品ではバイオレンス的な描写は思ったほど多くはない。見せない演出なのか、わざと避けているようにも見えます。(「レザボア〜」はお金がなかったんでしょうけど)実は不得意なのでは?との邪推は意味がなかったです。凄すぎるから。宙を舞うバラバラの手足、何メートルも噴きあがる血飛沫。もしかするとやりすぎてしまうことこそが怖かったのかもと思えるほどの凄まじさ。確かに日本映画が好きならこの辺にもこだわりがあって当然ですよね。(欧米版の黒い血飛沫のバージョンもみてみたいです。) また、堂に入ったユマ・サーマンの殺陣やダリル・ハンナのいかにもというほどに憎々しげな役作り。(スプラッシュ(84年/アメリカ)の頃の愛らしさは全く無し)。そして、仲間を率いたルーシー・リューの青葉屋の廊下のシーンに代表されるような格好よさ。スローモーションで映し出される得意げな表情の面々が堂々と歩くシーンに、布袋寅泰の「新・仁義なき戦い」のテーマ曲がかかる、こんな「レザボア・ドッグス」を彷彿とされるようなシーンも随所にあって、やっぱり格好いいです。(新・仁義なき戦いのオープニングもまさにそうなんですが) でも、やっぱりこの映画、見る人の好き嫌いははっきりしますよね。いろいろな映画が好きだからといってこの映画のアプローチの仕方も好きとは限らないし、逆に原典を知らなくても楽しめる人は楽しめる。自分も多分原典の10分の1も分かっていないと思いますし。でも、あまりにも全編に過去の様々な作品への”想い”や”愛”が詰め込まれすぎてフィルムのそこら辺中から頭を出すどころか、突き抜けてしまっているような”マニア監督”が、きちんとした映画力を背景にお金をかけてこんな映画を作ってくれることが一番楽しいと思うのですが。
こんなにもタランティーノが好きな千葉真一。もちろん自分も大好きです。というわけで次回から何回か千葉真一の作品について書いていきたいと思います。 |
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