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タイトルバック 個性的すぎる自衛隊員たちの青春映画 タイトルバック
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タイトルバック 「戦国自衛隊」 タイトルバック
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タイトルバック 2011.04.30 タイトルバック
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 近代兵器を装備した自衛隊が戦国時代へタイムスリップする、そんなアイディアで書かれたSF小説「戦国自衛隊」。今でこそ手垢のつき過ぎた感もあるこのアイディアですが、かつて作者の半村良が「この種の作品はアイディア本位で、早い者勝ちだと思った」と言っていたように、小説が書かれた当時は誰も考えていなかったようです。といっても初出は1971年で、十分古い。自分など素直に凄いと感じてしまうそんな原作を映画化したのが、今回の同名映画「戦国自衛隊」(79年)です。

 演習に参加するため、集合場所へ到着した伊庭三尉率いる自衛隊の一個小隊と他の部隊の合計21名は、突然、太陽が激しく燃え、光の雨が降るそんな異変に巻き込まれ気を失う。気がつき周囲を見回すとそこは自分達が今までいたところとは違っていた。困惑する隊員達のもとに突然現れる武者姿の人間達。その将たる男は自分を長尾影虎と名乗った。影虎達と敵対する国が襲ってきたため事を構えてしまった自衛隊員達は、成り行きから影虎とともに戦うことになってしまう。ここに至り自衛隊員達は自分達が戦国自体へタイムスリップしてしまったことを信じざるを得なくなった。戻れるのか?歴史に干渉したらどうなるのか?今後自分達の取るべき道を模索する隊員達。そんな時、矢野隊員が仲間とともに哨戒艇を奪い、村を襲い女を拉致する暴挙にでる。捨て身の行動でそれを阻止し、彼らを殺す伊庭。幾人もの仲間を亡くした隊員達は、伊庭の”天下をとって歴史を狂わせればそのショックで歴史は自分達を昭和の時代へ戻す”という言葉に賭け、影虎とともに戦うことを決意し、武田信玄と川中島での決戦に挑む。

 有名ではありますがこんなストーリーのこの映画。自分がこの映画を観たのは公開時ではなく、中学か高校のときのTV放映時だと思いますが、正直何か大きな違和感がありました。というのもこの映画の大筋からすると、目玉はやはり、大昔の刀や弓等の武器を使い人海戦術で戦う戦国時代の武将達と、戦車や機関銃などの近代兵器を扱う少数精鋭の自衛隊員達の戦いを視覚的にどう見せてくれるのかという面白さであり、それが実際の史実とどのように関わってくるのか、歴史は変わるのか、変わるとしたらどうなるのか等、さらにそれにおけるタイムパラドックスをも描いていく楽しさだと思っていたからです。しかし、画面の向こうで描かれたのは自衛隊員の思い思いの生きる姿。もちろんいま言った面白さはあるし、後述もしますが、終盤の川中島の戦い以前は、そのほとんどがそれまでの映画ではあまり多くは描かれなかった、顔を持った自衛隊員達が”生きている”姿だったのです。

 考えると、それ以前は自衛隊員たちが映画の主役になることは多くなく、登場が一番ポピュラーなのは怪獣映画の中に出てくるものでした。しかしその中での存在感は無いに等しく、怪獣の力を示すために倒されるだけの前座的な存在だったと思います。確かに同じ角川映画の「野性の証明」(78年)では主人公が元自衛隊の特殊部隊の隊員という設定ではありましたが、特殊部隊は闇の組織的に描かれ、彼らも普通の自衛隊員もやはり個性というものは存在せず、何をやっているのか、いったいどういう組織なのか分からないそんな世間の認識をそのまま描いているように思えました。なるほど当時の自分にとってみても、自衛隊のイメージはそういうものだった気がします。ただ、正直こういうまるで人格が存在しないような描写しかないのは嫌でした。いくら特殊な組織とはいえ、そこにいるのは自分達と同じ人間のはずなのですから。この「戦国自衛隊」ではそれまでとは違い、自分達とは同じ人間達が自分達と同じようにいろいろな事を考え、様々に行動する様子が描かれていました。

 とはいえ、この映画に登場した隊員達は単純に自分達と同じといえないほど個性的すぎる部分はありました。そこには先程の”どんな組織か分からない自衛隊”という曖昧な認識からか、とてもリアルとは言えない、というか最初からリアルに描こうとはせず、我々一般人が持っていたイメージの中に存在する自衛隊をこそ描いていたようにも思えます。例えば、頑強で強く頼りになる軍人然とした伊庭、防大のエリート性を彷彿とさせる理知的なイメージの県、円谷幸吉の印象も強いオリンピックの強化選手としてのイメージの森下などの他、かつてクーデターを起こそうとした矢野という極端な人間から、銃を撃ちたいだけやただ生活のために自衛隊を選ぶもの等本当に様々です。何故こんなにもと思えるほどにバラエティに富んだ人間達。自衛隊のイメージにとらわれなくても、職場放棄して女と駆け落ちしようとする菊地みないなのもいますし。

 そんな超個性的な人間達が戦国時代という現代の常識が通用しない、逆にいえば常識を考える必要のない、モラルを超越した(と彼らは考えた)世界に放り込まれたのですから、規律などは吹き飛びその行動は更に極端になっていくのです。そんな彼らの群像を映画はたっぷりと描いていきます。何故タイムスリップしたか、とか、どうやったら戻れるか、ではなく、どう自分らしく生きるか。正直最初に観たときは何の違和感かわかりませんでしたが、これは本音のままに生きることが出来る場所を得た若者達の青春物語だったんだと後に思い至りました。だからこそあれほどまでに彼らの考えや爆発寸前のエネルギーを含んだ行動を、これだけ多くの登場人物がいながら描き分けれたのかなとも思うわけです。

 では、戦国時代における武士達と自衛隊の戦いはおざなりになっているかといえばそんなことはありません。前半の黒田勢との戦いや春日山城攻略では自衛隊の装備の強力さ、テクノロジーの違いをきちんと見せてくれますし、本物のヘリや実際に造ってしまった自走する戦車などを使ったアクションは、現在の目では少しきつくても、当時は十分な迫力を持っていました。(天守閣ごしにぬっと現れるヘリが格好よかった)

 ただ、これも最初の想像と違っていたのですが、アクションシーンで一番印象的なのはその戦国武将たちの戦い方でした。歴然とした装備の差に対抗するのは圧倒的に勝る軍勢の数だけだと思っていたのですが、そうではなく、実に多彩で効果的な戦術を仕掛けてくるのです。戦車に対しては燃える丸太の杭を乗せた大八車を四方八方からぶつけ、足軽たちがいち早く取り付いて武装を無効力化したり、上から丸太を落として武器弾薬を乗せた輸送車を行動不能にした上で火矢で爆発させたりします。APC(装甲兵員輸送車)に対しては進路に落とし穴を作り、APCがそこに落ちると隠れていた忍者達が攻撃。その後撤退する忍者を自衛隊員が追うと、その先には塹壕に隠れていた鉄砲隊からの一斉射撃。ヘリにしても低空飛行の最中取り付いた侍が上空でパイロット達を殺し、その後には下にいる足軽達が旗でクッションを作って飛び降りる侍を受け止めるのです。最初からたいした作戦を持たず、その装備を過信して戦った自衛隊員と、いかに装備や火力に差があろうと、敵の情報を集め、対策を練り、現有装備で打開してみせた武田信玄。その戦い方の差が分けた明暗に素直に驚きました。(まあ、最後には形振りかまわない伊庭が卑怯な手で信玄の首を取るのですが)

 戦闘で描かれたのはアクションだけではありません。最初の影虎が敵を殺し首を切るシーンは、初めてみる本当の戦争というものを自衛隊員達が如実に実感していることが分かりますし、目の前を覆うほどの多くの敵がゆっくりと向かってくる場面では、銃で撃ち殺しても生きている侍がまた立ち上がってこちらにくるなど、その不気味さと恐ろしさがここが自分達の世界とは全く違うのだということを悟らせるのです。

 最後、戦いには勝ったものの生き残った自衛隊員達は装備その他全てを失います。直後再びタイムスリップの兆候が現れたことで、現代に戻るために最初の場所へ向かうことを提案する県と同調する他の隊員達。それに対して伊庭はそれを頑なに拒否し、戦って天下を取ることに固執します。昭和に戻りたい隊員を臆病者と罵倒し、女をつくった隊員を腑抜けと蔑む。ここで伊庭の本性が明らかになります。人格者で逞しく、頼れるリーダーの体現者だった伊庭が、実はもっとも現代に幻滅し、戦いこそが彼が求めるものであったことを。なるほどどんな危機的な事態にあっても一瞬ニヤリと頬を緩ませていた伊庭が確かにそこにいました。もしかすると、彼のこの想いこそが彼ら自衛隊員をこの戦国時代へ呼んだのではないかとさえ思えるのです。

 原作は大きく二つのアイディアで成り立ってました。一つは最初に書いた自衛隊が戦国時代で戦うということ。そしてもうひとつは彼らがタイムスリップしてきた意味です。この世界に時代の寵児たる織田信長はいません。原作では戦いに勝ち残った自衛隊員は戦国の世にしっかり根をおろしていったあと、彼ら一人一人はその世界に存在しなかった歴史上の織田信長の家臣としての役割を与えられ、史実に対してひとつひとつパズルのピースのようにその存在をはめられていきます。伊庭も最後には織田信長として殺されます。歴史は織田信長のいない世界を元に戻すためにその役を自衛隊員に負わせたわけです。しかし、映画ではそこまでこのオチに執着しません。全体的にみれば信長のイメージはあるものの史実への摺り寄せなどする気も毛頭ありません。それは史実との整合性や映画の上手な終わり方より、スクリーンの中で生きた若き自衛隊員たちの青春の終わりを、賭けたエネルギーに見合うような壮絶で哀愁漂う最後として描いただけのようでした。

 

 この「戦国自衛隊」ですが、DVDが発売されたときのその予想以上の売れ行きから、潜在的なファンが多数いることを確信した映画会社がそのリメイクを企画しました。ということで次回はリメイクの「戦国自衛隊1549」とTVドラマ版「戦国自衛隊 関が原の戦い」について書きたいと思います。

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