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タイトルバック 某国工作員と自衛隊が共謀してテロを起こす タイトルバック
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タイトルバック 「亡国のイージス」 タイトルバック
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タイトルバック 2011.05.14 タイトルバック
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 自衛隊の誇るイージス艦いそかぜが、宮津副長以下幹部乗組員らによって占拠された。協力する某国工作員のヨンファが持ち込んだグソーなる大量殺戮兵器を盾に、彼らは日本政府を脅迫する。いそかぜの先任伍長の仙石は、彼らの行動を止めるため潜入していた防衛庁の工作員如月とともにいそかぜ奪還を目指す。

 こんなストーリーで展開するのが今回書く「亡国のイージス」(05年)。福井晴敏の原作を、真田広之や寺尾聰、中井喜一、佐藤浩一など力量十分の俳優陣で撮り上げた骨太映画。映画館へは半信半疑で出かけましたが、十分鑑賞に堪える面白い映画でした。原作が大藪晴彦賞、日本冒険小説協会大賞、日本推理作家協会賞など立て続けに受賞した有名小説で、しかもかなりの長編なことから、やはり原作との兼ね合いが気になる方が多かったようです。正直どう映画にしても色々無理が出そうで批判もされそうですが、もともと原作は物語や登場人物の設定、背景に十分過ぎるほどページ数を費やしていたこともあって、映画ではそんな部分をばっさりカットし、メインのイージス艦の件に対してはギュッと圧縮して、堂々と1本の映画にしてしまいました。原作での、溢れる文字で彩られた舞台設定も人物描写も行動理由も”映画なんだからみたらわかるだろ”とばかりにほとんど一切の説明を廃していて、登場人物の会話はほぼプロ同士のそれでいちいち説明的な台詞も無く、よくいる狂言回し的な人物もほとんど出てこないため、その状況下での自然な台詞の他は画面の画とそこから漂う空気で見せていった事に心地良ささえ感じ、その結果自分にとっては十分リアルな映画に仕上がっているように見えました。

 しかし、やはりどう頑張ったところで無理は出るもので、あまりに説明をはしょりすぎたのか良く分からない部分も多いのは事実です。特に観ていてびっくりしたのが如月と亡国女性工作員ジョンヒの水中でのキス(?)シーン。そんな前兆も説明も一切無い。二人きりのシーンだって無かった。その二人がしかも殺し合いをしている最中に…。たしかに原作にはあるのですが映画とはジョンヒの存在感も重要度も全然違うし、そもそもジョンヒの心の表現も全く無い。これに関しては拾いきれないエピソードなら入れないほうがいいし、もしくはジョンヒの扱いを最初からもっと考えてほしかったとも思いました。

 またアクションの部分についても不満を持つ人は多かったと思います。確かにこれを期待してるとかなり残念です。原作でのアクションの比重は高く、イージス艦内での仙石、如月の度重なる肉弾アクションはもとより、いそかぜVSうらかぜ、いそかぜVSF15イーグル、いそかぜVS特殊突撃部隊などビジュアル的に見ても興奮を呼ぶような派手な映像となるシーンもいくつもありました。しかし、艦内のアクション以外で結果的に映像になったのはいそかぜ対うらかぜのみ。しかもこのシーンは攻撃をうけるうらかぜの描写のほとんどが乗員のアップと台詞だけでそれをカットバックでどんどん見せていくだけ。映画では真田広之演じる仙石先任伍長を主役と決めたために、彼らがほとんど絡まない戦闘シーンがカットされていったのは分かりますし、その辺の明確さは他の場面の取捨選択と変わらず首尾一貫していて潔ささえ感じますが、ストーリーとしても重要な意味合いのあるこのシーンだけはイージス艦の装備と機能、運用手順などをしっかり画で見せながら畳み込むような演出にして欲しかったです。

 しかし、最近は割りと当たり前になってきたテロリストと戦うという図式の邦画。「ホワイトアウト」(00年)あたりから市民権を得たような印象がありますが、近年の世界事情がうんねん…なんてことはなく、多分ハリウッド映画への対抗心というか羨望なのでしょう。ここ十数年で映画で使われるCGの技術が飛躍的に伸び、しかも比較的安価になって使えるようになったため、今まで制作費の違いから手も足も出なかった邦画がぱっと見ではそれと大差のない映像が作れるようになり、”だったらあの映画みたいなのが作りたい”とか、”あれよりもっと面白い画が作れる”なんて考えているのかなと。最近はハリウッドに挑戦するとか、肩を並べたとか、超えたとか、派手っぽい邦画の常套句になってしまっていますそしてその気持ちは凄くよく分かります。でも、基本的にベースがハリウッド映画なので、つくる映画も派手なアクションなどに意識が強く、そんな映画を見ていても何か映像だけが先走りしているように感じ、失礼ながら何か作り手がハリウッド的な映像を作っていることに少し浮かれているというようにも感じてしまうのです。悪いことでは全然無いのでしょうが、その分基本的な部分や細かいところが御座なりになっているような気もして。この映画はちょっと前の映画ですがそういうウワツキが少なく、落ち着いた印象があったのでちょっと書きました。

 あとは少し思ったことをいくつか。ひとつは宮津率いる幹部自衛官が行動を起こした理由。それが少し弱いように思えるのです。色々考えたり、不満をもったり、怒りが収まらないこともあるでしょうが、同じ自衛官を殺し、国を揺るがすそんな大事件を起こすほどの胸中も行動力もひとりひとりからは見えないのです。彼らは通称「宮津学校」というグループのメンバーだったと説明されています。これはもともと宮津が部下の昇進試験のために開いていた勉強会だったものが、彼らの国のあり方への疑問や改革を考える「有事法制研究所」と変貌したもので、信奉する宮津の息子がそんな国家に殺されたと思ったことから今回の決起となるわけですが、もともとは単純な宮津の復讐劇。どんなに国家体制を憂おうともその本質は変わらず、またこうした個人的事情を各々が持っているため彼らの想いが共通しているとも言い難いのです。とすれば決起した理由の本質は実は単純に仲間だったからではないかとも思えてしまいます。同じ考えをもった仲間と一緒に国を変えるという集団意識。ではその同じ考えはどこからきたのか? それはやはり指導者である宮津の強い信念と想い。彼が直接は声に出してはいないだろうそれを感じた信奉者達が彼の言葉として形にして蒙昧していく。恐ろしいことです。宗教などはこの図式にすっぽり当てはように思えてなりません。また、さすがにこんな大事件の要素を持っているとは思いませんが、以前やはり現職自衛官が書いたひとつの論文から社会的大問題になった元幕僚長田母神の事件など、彼に寺尾聰ばりのカリスマ性があれば似たような事も出来たのではないかと思えるほどに実は現実とは離れてはいない、なにかそんな風に思えました。

 あとはやはりこんな恐ろしさを感じるような映画、現職自衛官が某国工作員と共謀してテロを起こすというような話にその自衛隊が全面協力したということに驚きました。これまでの自衛隊はどんなときもイメージを大切にしていると思っていたので、これは本当に最初信じられませんでした。確かに昔、織田裕二が主演した「BEST GUY」(90年)という映画で、(内容は「トップ・ガン」のパクリ)F15にカメラを持ち込んだり、基地内での撮影も有りと、自衛隊がかなりの労力を裂いて全面協力したことに当時驚きましたが、これに関して言えば、イーグルドライバーを格好良く描いた航空自衛隊のPR映画のようなものでしたので合点がいきました。他にも映画としては自衛隊との蜜月を感じさせた平成ガメラシリーズですが、最初は「正義の味方のガメラを自衛隊が攻撃したら、自衛隊が悪役になるのではありませんか?」となんとも堅いイメージの自衛隊からは想像できないようなマニアックな理由で協力に難色を示されたり、自衛隊の参謀役にはソフトで格好の良い俳優さんを使って欲しいという希望を出してその結果長谷川初範が起用されるなど、キャスティングにまでイメージを大切にしていました。原作者でさえ無理だと思っていたのに、そんな自衛隊がこの「亡国のイージス」に協力したのは本当にどういった理由だったのでしょうか? 

 

 この映画が公開された2005年は、作者の福井晴敏が原作を担当した映画が立て続けに3本公開されて話題になりました。その「戦国自衛隊1549」、「亡国のイージス」、「ローレライ」の3作に共通しているのが、主人公が立ち向かう敵が、”日本という国の在り方を懸念し、日本人のアイデンティティを危惧するが故にいちど国家としての成り立ちを崩壊させ、その上で新たに日本という国を再生させる”そんな野望を抱き実行する人たちでした。そして映画なり小説なりで彼らを見るといつも必ず頭に浮かぶキャラクターがいます。もしかすると福井氏が描くこれらの敵役のイメージの元になっているのではないかと思えるそのキャラクター。それが、映画「機動警察パトレイバー2 the Movie」の柘植行人です。次回はその「機動警察パトレイバー2 the Movie」について書きたいと思います。

 

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ぬいぐるみと少女

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