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タイトルバック 「アポロ13」の元ネタの元ネタ? タイトルバック
タイトルバック 「宇宙からの脱出」 タイトルバック
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タイトルバック 2011.06.20 タイトルバック
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 アメリカ同時多発テロを予見したような映画「マーシャル・ロー」のように、現実を先取りした映画といえば何だろうと考えてすぐに思いつくような映画は自分の中では3本。原子力発電所で起こる事故を描いた「チャイナ・シンドローム」(79年/アメリカ)、大統領が架空の戦争をでっち上げる「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」(97年/アメリカ)、そして宇宙船の故障により戻れなくなった宇宙飛行士の救出作戦を描く「宇宙からの脱出」(69年/アメリカ)です。

 多分このジャンル(?)ではいちばん有名だと思うのが「チャイナ・シンドローム」。まだ原発事故が起こっていなかった当時、将来における原子力発電の危険性を描いていましたが、公開日からわずか2週間後に実際に世界最初の原発事故であるスリーマイル島原発事故が起こってしまったという有名な話。事故原因が映画とそっくりだったり、安全対策の偽装方法が現実でもよくある方法だったりと、現実とリンクする描写がリアリティを増大させていました。また、主演のジェーン・フォンダは反戦女優としても知られていましたから、テーマ性が強いこの映画はいかにもという印象もありました。

 二つ目の「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」はアメリカの現職大統領がホワイトハウス内で女性とセックススキャンダルを起こしてしまったため、そのスキャンダルから国民の目をそらせようと架空の戦争をでっち上げるという映画。しかし翌年クリントン大統領にモニカ・ルインスキーとの”不適切な関係”が発覚し、糾弾されだした途端、大統領は突然アフガニスタン等に爆撃を開始してしまいました。映画においてスキャンダルのくだりはあくまできっかけで、架空の戦争を演出する方法やそれに巻き込まれていく人たちの可笑しさを描くことが趣旨のような映画でしたが、CGで戦争を見せる部分やそもそもありもしない戦争を信じさせようとする過程が荒唐無稽だったので、当時それほど気に入った映画ではありませんでした。しかしモニカ・ルインスキー事件がワイドショーで取り上げられだすと、この映画のきっかけの部分に符合してしまった現実に”本当にやるんだ”と半分あきれた記憶があります。実際に人が死ぬ分、現実の方がタチが悪いのですが。

 そして最後が「宇宙からの脱出」。「大脱走」のジョン・スタージェスが監督していました。

 来るべき惑星間旅行のための実験として5ヶ月の宇宙滞在を終えた宇宙飛行士ジム、ストーン、バスの三人は、地球への帰還途中、宇宙船の逆噴射ロケットが故障してしまう。地球へ降りることが出来ず、燃料も酸素も足りない。故障の復旧が不可能な状態で、計画主任のキースは大統領の命令もあり、救助艇の打ち上げを実行させようとする。少ない残り時間の中、懸命の努力により奇跡的に打ち上げが間に合うかに見えたが、ハリケーンの到来により打ち上げが頓挫してしまう…。

 宇宙空間で故障して自力で地球に戻れなくなった宇宙船と、乗組員を帰還させるために懸命の努力をする地上スタッフ。こんなストーリーの映画といえばやはり「アポロ13」(95年/アメリカ)を思い出します。その「アポロ13」は1970年4月に実際に起こったアポロ13号の事故を題材につくっていましたが、この映画が公開されたのが1969年12月。「宇宙からの脱出」公開4か月後に奇しくも実際にアポロ13号の事故が起こってしまったわけです。

 随分昔に見た映画で記憶も曖昧だったため今回改めて見直してみて思ったのですが、この映画、けっして細部に到るまで現実と近いわけではありませんでした。劇中の状況はアポロ13号の時より相当過酷ですし、宇宙船の機能復旧は早々に諦められ、救助用の別のロケットを打ち上げることが話のメインになります。ただ孤立した宇宙飛行士の葛藤や感情表現などにも時間を割き、映画としてのドラマ性も高く、乗組員と管制センターのやり取りなどはアポロ計画のど真ん中の時代とあってか相当に細かくリアルなものでした。

 そんな映画で何より自分が印象深く感じたのが、主人公である計画主任のキースのキャラクターです。グレゴリー・ペックが演じる彼は冷静沈着で理論的な考えや行動を旨とする合理的な人間。ただなんというかその合理主義が徹底しすぎていて、そこには人間性さえ希薄に感じるのです。前半、宇宙船の故障の原因調査の結果、復旧の可能性がゼロであることを分かると彼は早々に救出作戦を打ち切り、乗組員を見捨てようとします。もちろんそこにいたるまでにあらゆる可能性を考えた上なのですが、その態度は会議の席で反論の余地を許さないような姿勢。復旧が無理なら新たに救助艇を打ち上げるべきとの意見にも、間髪入れずに不可能と断じ、極めて正当な理由を述べていきます。なおも食い下がる相手に、それが感情論であることを示唆したうえで、その感情的な要素をもってしても不可能であることまで論じてしまうのです。

 しかしながら、その後大統領の命令により救助艇の打ち上げが決まると、キースは打ち上げを徹底して合理的にすすめます。なるほど先ほどの論理はやらないための理由ではなかったのがわかります。彼にとっては成功率の低い計画は計画ですらないのでしょう。成功率が低さが計画の一要素ならば目的である打ち上げに邁進できるのです。時間の不足を訴える係員にはチェックリストの項目をばっさり割愛させますし、ぶっつけ本番でエンジンを使用させたりします。

 この合理性は劇中一貫して変わりません。終盤、救助艇打ち上げが台風の為に遅れたため酸素がつきようとする船内で、三人とも救出することが不可能となったとき、彼は二人なら助けられることを数字上確認した上で、宇宙を漂流する三人に言外ながらそれを伝えるのです。しかも誰が犠牲になるかは三人にゆだね…。三人とも死ぬか、一人の犠牲か。数の論理を元に究極の選択を強いたキースはその瞬間もあくまで冷静でした。

 台風の目を利用してロケットを打ち上げるもなかなか接触できない救助艇、事故を装いストーン自らが犠牲になりながら、それでも足りなくなる酸素にパニックになるバズなど、終盤は宇宙飛行士たちの葛藤がメインになりますが、少々やきもきする展開ですし、救助艇より先に助けに来たソ連の宇宙船は救助の一様を成すもほとんど傍観者に近く、なにかモヤッとした感じです。ここら辺など当時のソ連に対する複雑な感情がにじんでいるようにも思えますが、正直ラストで昂揚感や爽快感が感じられる映画ではありませんでした。昔観た時はもう少し感動した気がしたのですが…。

 最後に昔から不思議に思っていたことをひとつ。それはなぜこの当時にこんな映画なのか? ということです。映画が公開された1969年はまさにアポロ11号が月に到達した年。人類の歴史的な一歩、アポロ計画のクライマックスを華やかに彩ったこの瞬間からまだ日は経っておらず、その余韻はまだまだ冷めてはいなかったであろうこの時に創られた映画が、なぜ宇宙船の事故により乗組員達に危険が及び犠牲者までだすという物語なのか。もっと宇宙開発に将来性を見せるものや宇宙飛行士をヒーローとして描く映画であっても良かったと思うのです。60年代のハリウッド映画ならなおさらです。しかし主役の計画主任は多く感情移入できるほどに人間的ではなく、ヒーローであるはずの宇宙飛行士たちには状況を打開しようとする積極的な行動の場面は与えられないうえ、極限の状況下で焦燥し混乱する姿だけが記憶に残る描かれ方でした。

 これはやはり「チャイナ・シンドローム」のように将来起こるかもしれない事故による危機感を伝えようとしたのでしょうか? それともリアリティを追求していった果てなのか。劇中、記者からいわれた”この計画は人命を賭してまで価値があったのか”との問いに、このときだけキースは感情をにじませます。「ある。これは宇宙への第一歩。月世界を皮切りに他の惑星を、別世界を目指すのだ」と。もしかするとこれこそ言いたかった事なのでしょうか。ベトナム戦争に揺れ、ソ連との競争意識だけで急速な発展を遂げた宇宙開発技術に疑問をもち始めたアメリカ人たちへの、見捨てて欲しくはないというこれはひとつのメッセージにも思えてしまうのです。もしくは、そんな夢など見ている場合ではないだろう。もっと現実を見ろと言っていたのかも…。

 

 針の目のような細かい部分を上げるならともかく、現実を予見したと多くの人が認めるよな映画がおそらく数えるほどしかないでしょう。基本的には現実の出来事を映画にすることの方が一般的で、実話の映画化というものは相当数あります。実話そのものではなくてもアイディア等を取り入れたりするならば多分ほとんど関わってくるのではないかと思っています。しかしながら、その現実が、現実といえないものならばそれはどうなるのでしょう。実話であることが通常現実世界に存在しないとされるものの場合、その映画は現実なのか、虚構なのか…。次回は最近の映画ですが「宇宙人の解剖」について書きたいと思います。

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