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タイトルバック 期待したのに…。まるで三流ドラマ? タイトルバック
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タイトルバック 「戦国自衛隊1549」 タイトルバック
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タイトルバック 2011.05.08 タイトルバック
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 陸上自衛隊が極秘実験中、システムの暴走により的場一佐率いる実験部隊が消滅する。しかし彼らは消滅したのではなく、戦国時代へタイムスリップしていた。それと同じ頃、周囲の光や空間を侵食する虚数空間が発生。それが的場一佐達が歴史に介入した事が原因と分かったため、彼らを未来へ連れ戻そうとする。そのためかつて的場の一番の部下だった鹿島をオブザーバーに、戦国時代へ時間を遡る。しかし、その戦国時代はすでに歴史にはない天道衆と呼ばれる軍勢がはびこっていた。彼らを束ねるのは織田信長。それは的場一佐のもうひとつの顔だった。

 前作から26年後、新しい世界観と設定をもとに制作されたのが、この「戦国自衛隊1549」です。半村良の小説は原案になり、原作は福井晴敏が担当したこの作品。もともと前作の続編として企画がスタートしたということで”戦国時代へいった自衛隊員によって歴史が変わったことから現在の世界が消滅の危機に瀕したため、彼らを連れ戻そうとする”という最初のストーリーの骨子は受け継がれています。ディテールも前作では唐突に起こるタイムスリップに対してはしっかりとした理屈を設定し、映画の中に基本的なルールを作ることによって時間制限まで設け、誰がいつまでに何をするのかを明確にしたストーリーになっていました。また自衛隊の全面協力のもと、本物の戦車や攻撃へり等が画面の中に登場するこの映画は、前作よりも正統派の映画として物語性もアクション性も高い迫力あるの映画になると思われ、自分もかなり期待をもって劇場に足を運びました。そして、スクリーンの中に映し出されたその映画は、なんだか…、あれっ、とても安っぽく,そして変ではないですか?

 何故? ちょっと考えて思い当たるのが、まず登場人物。彼らの感情の表現や台詞、そして演出等がとてもベタなような気がしたのです。例えば救助といいながら実は殲滅することも考えていたことを生瀬勝久演じる司令官の森三佐が激情に駆られて思わず口走るシーンなど、昔の安手のドラマを見ているようでした。鹿島(江口洋介)は現地の人間に接触してはいけないといわれていたのに、タイムスリップ後にいきなり藤介という子供を助けそれに同意しない神崎二尉(鈴木京香)を人としておかしいみたいに言う件も、場面自体があまりにありがちなうえ、そもそもその行動自体、過去への介入が今まさに世界を滅ぼそうとしているこの状況においてはあまりに軽率で自覚が無いように思えます。自分がなにをしにここに来たのかさえ忘れているようです。その神崎にしてもエリート自衛官にしてはその行動は行き当たりばったりで、しかも的場の昔の恋人というこれまたベタドラマのような設定からか、再会した的場の前では突然女という存在になって何度も口にしていた自分の責任などあっさり忘れてしまったり、かとおもうと突然鹿島の盾になって怪我をしたりと考えも価値観も統一性がありません。

 一度おかしいと思うと色々なところが目についてしまいます。”精鋭部隊をつくるために仲間を殺し合わせている”という聞き捨てならない台詞が唐突に出てきますが、その設定が出てくるのはここだけで何の複線にもなっていませんし、それらしい部隊も出てきません。終盤の三国曹長と一緒に戦う美濃の武将は何故か彼に強いシンパシーを抱いていてその結果殺されたしまうのですが、それを示すような描写は見えませんでした。的場が自分の行動を説明するシーンでは、”この時代から日本はやり直す”といって関東一円を滅ぼし世界を変えようとしますが、そうする事がどうして日本を根本から変える事になるのか、そもそも戦国時代の関東ってド田舎では? 与田という的場の腹心が死の間際に”十分生きた”といっていますが、彼らがしてきたのは2年かけて目的のための準備をしてきただけで、何一つ成し遂げてなどいないですし、鹿島が蜂須賀小六が藤介の養父であることを知って(このシーンも三流ドラマのようでかなりわざとらしい)”これで俺達がルールを変える”と一発逆転のアイディアを思いつくのですが、結果的に全てをひっくり返すような何を彼はしたのでしょう?(自衛隊員以外で実際に城に乗り込んできたのはほとんどが美濃の兵隊に見えるのですが)最後まで任務を果たそうとするその他の自衛隊員が決起するシーンや最後の敬礼の場面など感動を誘おうとするシーンも、彼ら自体が特にエピソードを持たないためその他大勢にしか見えず、気持ちが入りません。申し訳ないのですがこれに限らず全ての登場人物に対してほとんど感情移入が出来ないのです。

 そんな映画でも何かひとつ凄いと思えるようなシーンや感涙するシーンなど映画自体の印象を劇的に変えてしまうようなものがあれば、自分などはすぐに宗旨替えして面白い映画として記憶できるのですが思い出しても何も浮かばず…。

 本来目玉であるはずの戦国時代の軍勢と自衛隊の戦いはほとんど無く、そればかりか戦闘のほとんどは城の中というあまりに局地的な範囲で行われます。しかもこれは自衛隊同士の内輪もめという構図で、そもそも隊員と武将や足軽以外、世界の大部分を構成しているはずの農民やその他の人達がほとんど出てこないため、ここが戦国時代なのかどうかさえ怪しい、というか実感ができません。その様子からまるで日光江戸村に迷い込んだ自衛隊員たちのよう見えてしまいます。画面の拡がりとか奥行きのようなものもほとんど見られず、せっかくの本物の装備も戦闘シーンもなにか小さく感じるのです。

 また、緊迫感を高めるはずの時間制限についても、”何日目。タイムリミットまであと何時間何分”という文字が出るのですが、その出るタイミングも出方もかなり適当で大雑把。しかもこの描写が一番必要になるはずのクライマックスでは全く出てこなくなり、鹿島の「あと18分」という台詞でやっと残り時間を知るのです。これでは何のために制限時間を設定したのかわかりません。(そもそもこの時間設定が無茶。たったひとつの過去データから何を推量しようと言うのでしょう。まして分単位で)最後の鹿島の「俺達、歴史の辻褄をあわせただけじゃないのか」という台詞はまさにその通りなのですが、そのやり方が本当に強引。せめて原案とした半村良の小説のラストを参考にしてもよかったのではないでしょうか?

 誰の意図でこのような映画になったのかわかりませんが、とにかく画作りもストーリーも台詞も演出も全てにおいて安易さが蔓延しているこの映画。最後の城の崩壊シーンだけはCGによる迫力があって良かったので、何か本当に残念でした。

 

(その2へ)

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ぬいぐるみと少女

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●SCENE-023「戦国自衛隊

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