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タイトルバック パニック映画ブームへの便乗映画では終わらなかった傑作サスペンス タイトルバック
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タイトルバック 「新幹線大爆破」 タイトルバック
カチンコ 041 カチンコ
タイトルバック 2011.10.22 タイトルバック
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 映画をよく見るようになった大学時代、しだいに増えてきた大きなレンタルビデオ店のおかげで昔の映画も簡単に見れるようになりました。そんな頃、次は何の映画を観ようかと映画に関する色々なネタ本(というか紹介本)を読んでいてちょっと不思議に感じた映画が1本。その映画を紹介するときのジャンルが本によって違っていて、サスペンス映画だったり、ドラマ映画だったり、挙句に特撮映画としてだったりとなんともつかみ所が無い感じ。その映画こそが「新幹線大爆破」でした。

 興味はありましたが、この映画、昔の記憶でダメ映画の印象が根付いていまして、どうしようかなと思っているとき、ビデオ店の片隅に潜んでいた安っぽい紙パッケージのタイトルを見つけてしまいました。オールスター映画といっているし、これはやっぱり観るべき? と、借りてみたのですが…。今回はその「新幹線大爆破」(75年/日本)について書きたいと思います。

 東京発博多行の新幹線ひかり109号が乗客1500人を乗せて発車する。しかし、その109号に爆弾を仕掛けたと男から電話がかかってきた。すぐに停車し調べようとする運転手の青木を止める倉持運転司令室長。犯人が言うにはその爆弾は、時速80kmにスピードが上がると第1のスイッチが入り、次に時速80km以下に下がると爆発するのだという。しかし走行中の新幹線はすでに時速80kmを超えていた。500万ドルを要求する犯人はデモンストレーションとして北海道のSLを同様の爆弾で爆破してみせる。爆弾が本物であることを理解する国鉄。乗客をのせたまま止まれなくなった新幹線。博多到着まで残り10時間の猶予しかない。完全犯罪をもくろむ犯人グループと、同様の犯罪を防ぐため絶対に犯人を捕まえようとする警察。そして、犯人検挙よりも身代金よりもとにかく乗客の安全を第一に考える国鉄と事態は三つ巴の様相を呈す。果たして時間内に犯人を捕まえて、乗客を解放することができるのか? 

 こんな感じで展開する映画「新幹線大爆破」ですが、一言でいうと面白い! とにかく面白い! 初めて観たときはびっくりしました。こんな面白い邦画があったなんて! 正直最初は全く期待していなかったのですが、良い意味で180度裏切られたこの映画。150分を超える長尺も全く気になりませんでした。

 そんなこの映画の面白さを支える最大のポイントは、やはり”決まったスピードまで減速すると爆発する爆弾”という秀抜のアイディア。爆弾を仕掛けた犯人からの脅迫という展開の映画といえは、やはり「ジャガーノート」(74年/イギリス)がすぐに頭に浮かびますが、ただジャガーノートで鍵となる爆弾は爆弾のプロが作った解除不能な爆弾でした。つまり天才的な犯人が自己顕示欲のためにつくった芸術的なほど良く出来た爆弾で、普通の人間では不可能な犯罪でもあったのです。しかし、この「新幹線大爆破」の爆弾は、仕組みとしては速度計に爆弾のスイッチが連動しているだけの単純な代物。作ったのは素人(元精密機械工場の社長さんという設定)。それを犯人は爆弾を仕掛ける状況を限定するだけで”解除不可能な爆弾”にしてしまったのです。おそらくは列車外につけられた爆弾をいかに発見し、解除するか? そもそも解除できるのか? 犯人と警察、国鉄の考えは常に錯綜していくのです。

 その凄いアイディアを中心にすえた映画のストーリーもまた本当に良く出来ていました。タイムリミットでの犯人と警察とのせめぎあいだけでは終わらせじと、サービス精神旺盛にいくつもピンチを課していきます。例えば、109号のために全線を運休し博多まで確保したはずの進路上で起こるまさかの事故! 停車してしまった車両を一時避けるために上り線へ変更するも、その上り線にもすでに別の車両が! 両方の進路を塞がれた止まれない109号という盛り上がる序盤のこの展開。そして、それに対処する倉持運転司令室長。その倉持を演じる宇津井建が司令所の壁一面に広がるCTC=列車集中制御装置の運行表示版を双眼鏡で覗きつつ、ストップウォッチ片手に「やってみよう」と言って次々と指示を出している姿は相当に格好良いです。

 すれ違う時間を逆算し、スピードをぎりぎりまで落とし、作り出した僅かなタイムラグで一方の車両が通過した直後のポイント切り替え。そしてATC=自動列車制御装置を解放、惰性でポイントを突っ切る。十数秒という僅かな猶予しか与えられず、超過スピードによるポイント通過での脱線の危機等、とても承服しかねる指示に噛み付く運転手の青木を説き伏せての強攻策。運転席に座っているだけという今までにない役柄の青木を演じる千葉真一の焦りまくる姿に何か不思議な気がするところでもありますが、正対する2両の新幹線が猛スピードですれ違い、最後尾と先頭車両がぶつかるというギリギリのところでかわしていくシーンには興奮も最高潮。このシーンはミニチュアをシュノーケルカメラで撮影したシーンで確かにミニチュア然としてはいるのですが、何回も見た後では辛く見えるこのカットも、のめりこんでいた初見ではそんな辛さなど全く感じず素直に凄いと思ってしまいました。

 そんなこのシーンで興奮の一端を担っているのが新幹線を描く上での技術的なディティールの細かさ。ATCという安全装置(自分はこの映画ではじめてこの装置を知りました)をしっかり描き、そのシステムを映画を盛り上げるためのストーリーに組み入れていく。またそれを扱う国鉄職員たちの行動などもきちんと描くことで、当時の邦画としては珍しくプロフェッショナルがその専門知識をもって事態に当たっているのだという説得力も感じさせてくれました。ATCにより何があっても止まろうとする新幹線と、新幹線の安全神話を築いたそのシステムの裏をかいて止めない様に対処するしかない倉持以下職員たちに、皮肉の帯びた哀しさを感じてしまうところもあるのですが。ちなみに室内にありながら双眼鏡で見なければいけないようなCTCの表示版とはどのようなものなのか当時とても興味を覚えました。随分後に秋葉原の交通博物館で実物を観ることが出来たのですが、なるほど物は大きいのにその表示灯自体はとても小さくて納得したことを覚えています、

 金を巡る犯人とそれを追う警察の描写も好きです。身代金受け渡しの時、たまたま通りかかった柔道部に犯人逮捕を頼んで(新幹線の乗客が人質になっているのに)、結果的に犯人の1人を死なせてしまったり、容疑者である古賀を見つけながら逃がしてしまったりと、なにかと失態続きで倉持からも「また失敗ですか」と呆れられてしまうような警察ですが、自分には緊張感を削ぐほどに間抜けには思えず、その警察各員のテンションの高さに、こんなに冷静さを欠くそれほどの重大事件なのだと思ったりしていました。そもそも古賀を特定できたのはSLを爆破した夕張の駅構内に落ちていたタバコの指紋からですが、広い構内に落ちていた犯人のものかどうかもわからない、だいたい犯人がタバコを吸ったかどうかも不明の状況で、そこから僅かな時間で容疑者の1人を特定してしまったこの捜査本部の捜査力は凄いと感じましたし、古賀を見つけたのは偶然でも、彼の潜伏する可能性のある場所に向かう途中で見つけたということは必然があったということです(まあ結果的にはやっぱり偶然だったのですが)。でも、街中で銃を発砲した挙句逃げられたのでは、確かにこれは頼りに出来ないという倉持の気持ちの方もわかりすぎるのですが。

 また警察に追われる犯人グループですが、彼らの描写によりこの映画がそれまでの他の映画と違う雰囲気を感じさせたように思えます。それまでの日本製サスペンス映画は、犯行やその手段よりも犯人を追う警察や犯人によるドラマ性が重視されていたイメージがありました。しかしこの映画の犯行手口はまるでハリウッド映画のように良く考えられた非常にシステマチックなもの。しかし、その犯人像はハリウッド映画によくある薄い仲間関係や裏切りなどドライな描写ではなく、とてもウエットな感じでそういう意味では日本映画のそれであり、その両者の結びつきがちょっと不思議な、でも良く出来た雰囲気の元になっていると思ったのです。

 そんな犯人のリーダーが高倉健演じる沖田。彼と古賀、浩の三人の犯人グループの関係は密接で犯罪による利害だけで結びついた集団とは違います。ですから、逃走途中に事故で浩が死んだときの沖田の沈痛な表情や、古賀が大怪我をして戻ってきたときに古賀に「そろそろ旗を巻く頃かもしれない」と言葉をかけるところなど、金を受け取れないことより仲間を失っていくことに辛さを感じていく沖田に建さんの寡黙で不器用なイメージも手伝ってどうしても感情移入をしてしまいます。ただ、動くことが出来ない古賀が沖田に「たとえ俺が死んだって、極端な話沖田さんが死んだってこの仕事をやりとげれば俺達は見苦しくない」という言葉で沖田は計画の続行を決意するのです。この古賀のキャラクターも好きです。演じる山本圭の鼻にかかった独特の声による持って回った喋り方と知的なイメージが社会に対して1人で反抗してきた古賀のイメージと見事に重なります。前述の台詞からもにじみ出るそんな古賀のこの犯行における真の思い。かつて学生運動に参加し、もし金を手に入れたら「革命が成功した国にいってみたい」と言っていた古賀にとって、この犯行は彼なりの革命戦争だったのです。当時のニュアンスでいえば、高度経済成長の象徴でブルジョアを彷彿とさせる新幹線に対してプロレタリアートの仲間とともに挑む戦い、とでもいいますか。だからこそ彼の死に様は理解できるような気がします。警官隊に取り囲まれ、退路を失った彼が爆弾で自爆する最後。それは理想を求めながらも果たせず、しかし仲間だけは守ろうとした破滅の美学の末の行動だったのでしょう。

 映画は終盤、いくつもの危機を乗り越えた新幹線と沖田1人になった犯人、そして主犯を追う警察と、それまでのテンションを維持しつつ、”金を奪えない犯人” ”犯人を捕まえられない警察” ”爆弾を解除できずタイムリミットが迫る国鉄”と、その三者が一様に追い詰められていくさまに緊迫感は一層高まります。そんな状況下での別プランで再び金の受け取りを目論む沖田と、もう失敗が許されない警察の駆け引き。画的には地味ですが、用意周到な犯人が見事金を奪取するシーンは興奮します。しかし映画の中の沖田の表情は裏腹に沈痛なままで、そこに達成感や喜びの感情はありませんでした。すでに彼の目的は仲間から託された計画を成功させるためだけに機械的に動いているようでもあります。また警察を信用出来ない国鉄は新幹線が高架を通る瞬間を高速度カメラで撮影、爆弾の位置を探ろうとします。光量の問題やシャッタースピードにこだわったりと、この辺のティティールもリアルさを感じますし、そこからやっと見つけた爆弾を解体しようとするところからのそのたたみかける展開でドキドキするクライマックスに突入していくのです。

 そんな中、犯人の沖田が金と引き換えに約束どおり爆弾の解体方法を教えるシーンが気になるのでそれについてひとこと。それは手順を書類にまとめ、ある喫茶店に置いてそれを警察に取りに行かせるという方法なのですが、なんと今度はこの喫茶店が火事になって燃えてしまうのです。危機また危機という本作ではありましたが、ここでまたしても想像を絶する大ピンチ! しかし、これが良く出来たストーリーの中にありながら、なんの前触れもなくあまりに突然のこと。現場に行った刑事も呆然としますが、これだけはその現実離れの状況に見ているこちらも呆然です。あまりのありえない展開に、青木運転手も「そんなバカな!」と思わず叫ぶほどですが、その後を考えるとこのエピソードはやっぱり必要なこのシーン。沖田が再度警察に解除方法を教えるのか? そこが検挙の糸口になるのでは? という更なるサスペンス性を観ている方に抱かせますし、書類が燃えてしまったことを犯人に知らせるためのTV放送とそれにまつわるくだりはラストシーンへ繋がっていくのですから。なので、ここだけはもう少し考えて欲しかった。例えば”書類を忘れたので取りにきた人間に渡して欲しい”と犯人が喫茶店に電話をかけたとき、店員が電話を急いで取るためキッチンの火を消さないまま電話に向かうというような僅かな1カットでもあるだけで、その唐突さも回避されたうえ、犯人の行動が予期しない形で事件に更なる災厄を招くという皮肉もきくと思ったのですが…。

 映画のクライマックスは発見した床下の爆弾を解除するために、床を焼き切る溶接機材一式をを109号に渡すという動的なサスペンスシーン。別の新幹線を並走させて障害物が来るまでの時間をはかりながらの作業も手に汗にぎる展開です(本当は走行中の新幹線で無理にドアを開くとATCでやはり止まるらしいのですが)。そして見事爆弾の解除に成功するのです。ただ青木運転手がここででしゃばるのはやはり千葉真一の見せ場が他にないからでしょうか?

 しかし、個人的にクライマックスで一番好きなのは、爆弾解除に成功し、いざ109号を止めようとしたとき、いきなり公安本部長が入ってきて「もうひとつ爆弾らしき影が!」といってくるシーン。無事に新幹線が止まれると思った矢先のまたまたしてもの更なる事態に緊迫感は再び上昇。現場にしても同様で、再度撮影による確認を指示する倉持に、これ以上進んで都市部で爆発しては二次被害が大きすぎると局長はたとえ爆発することになっても列車を止めろと断固命令。苦渋の選択の末、爆発する可能性がありながらスピードを下げるよう指示する倉持。すでに緊張感のとけた青木との声の抑揚も対照的で、本当に最後まで観客に息つぐ暇も与えないほど緊迫感を押し付け続けるのです。 

 ラスト、沖田は海外への脱出を目論み、一度はその周到さから警察を欺くも、結果的に別れた妻子を空港に連れ出すことによって沖田を追い詰める警察。海に逃げた沖田が対岸に這い上がると同時にまばゆいライトに照らされる。惨めなほど濡れ細り、それでも逃げようとしたその背後を銃撃に晒される沖田。ストップモーションの画面のなか、沖田が乗るはずだった飛行機が飛び去っていく。皮肉にもとれるような何か当時の歌謡曲を思わせる曲調のBGMと相まって、悲壮感が増すような哀愁漂う印象的な終わり方でした。

 当時の国鉄の協力を得られず、ミニチュアの新幹線の他(でも中には今でも一瞬実写と見紛うようなカットもあるんですが)、セットの車両は新幹線の部品を作る下請工場からそれぞれ買い集めて撮影所内で組み立てたりと(部品を売った下請工場は後から随分国鉄に怒られたそうです)、スタッフのアイディアと努力も光るこの映画。パニック映画として考えられながらパニックの要素はほどほどで、サスペンス重視の映画の流れも心地よく、自分としては本当に大好きでした。20年以上前に最初に観た時はすぐにもう一度ダビングしながら見返しましたし、その後WOWOWで放送されたときに改めて録画し直し(「スピード」放送記念で日本版スピードというコピーがついていました。失礼な話です)、LDが出たときは発売日に買いに行き、DVDも発売されるとやはり買ってしまいました。その後発売された海外版はしばらく我慢したのですが、やはり…。ディレクターズカットなど無いこの映画、海外版以外は内容に一切差は無いのですが、どうしても持っていたい衝動に駆られてしまいます。より画質のいいものを持っていたいということもありますが、媒体が変わるごとにこの映画が発売される喜びみたいなものを感じているからかもしれません。映画を観た当時、学校の友達に興奮気味に話しても食いついてくれず、社会人になって会社の同僚にこれは面白いと話してもタイトルで冷笑され、となにか認知されない不満があったことが理由だったのかも。でも自分自身、映画公開から初見までの十数年間この面白さを知らなかったのですから、最初に劇場でこの興奮を味わった人からするとやはりもどかしさがあったのでしょうね。しばらくして評価が高まったからこそのLDやDVDの発売だったとも思いますし、その辺の喜びはしっかり甘受させてもらっています。もう特撮映画としてゴジラやモスラの横にタイトルがクレジットされることは無いと思いますが、もし出来るなら日本が誇る良質のサスペンス映画としてのリメイクはどうでしょう? なんというか、やっぱり迫力のある新幹線のシーンでこの映画を見直したいという気持ちが正直ありますので。

 

 先ほども少し書きましたが、本作と同じく爆弾物といえばやはり忘れられないのが「ジャガーノート」。ということで次回は「ジャガーノート」(74年/イギリス)について書きたいと思います。

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●SCENE-041「新幹線大爆破」

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