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タイトルバック フリードキン監督、再び…。 タイトルバック
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タイトルバック 「LA大捜査線  狼たちの街」 タイトルバック
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タイトルバック 2012.05.02 タイトルバック
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 陽光の中、ホテルに到着した黒光りする車列から素早く出てくる黒いスーツの男達。その中の二人、チャンスとジミーはその夜ホテルで不審者を発見。爆弾を体にまいたその危険なテロリストを怪我を負いながらも排除、犯人は自爆する。アメリカ大統領等の要人を警護することで有名なシークレットサービスの活躍をそのままのイメージで描いた期待させるオープニング。でも、この映画で主人公のチャンスが猟犬のように執拗に追いかける敵は大統領暗殺犯ではなく、偽札犯でした。今回は「LA大捜査線 狼たちの街」(85年/アメリカ)について書きたいと思います。

 定年を二日後に控えたビリーが以前から追っていた偽札犯のマスターズを調査中、その男の手にかかり無残に殺される。相棒で友人だったチャンスは、ビリーの仇を撃つべく新しい相棒のブコビッチとともにマスターズを追い、その運び屋と思われるコディを逮捕する。コディを足がかりにマスターズを追い詰めようとするチャンス達と、情報が漏れるの防ごうとするマスターズ。マスターズの目にあまる行動に手を引きたいと言ってきた弁護士を通じて、実業家を装ってチャンスたちはついにマスターズに接触することに成功するが、偽札を依頼する囮捜査でマスターズは3万ドルの前金を要求する。しかし、おとり捜査にでは1万ドルまでしか本部は出してくれない。チャンスは残りの金を工面するため、以前女情報屋から聞いた5万ドルの麻薬取引の現場を押さえ、その5万ドルを強奪しようと計画。捜査からあまりに逸脱した行為に何とか止めさせようとするブコビッチだが、憎しみに支配されたチャンスは止まらない…。 

 「フレンチコネクション」でアカデミー賞を取ったウイリアム・フリードキン監督が「エクソシスト」(73年)の大ヒットなどを経て、再び撮ったハードなクライムアクション映画。この映画も「フレンチコネクション」同様、ドキュメンタリータッチの画作りとリアルな雰囲気で独特の空気感のある映画になっていました。ただ「フレンチコネクション」では舞台となるニューヨークの風景は乾いたザラついたもので、BGMも印象的ながら多用してはいなかったため、映画自体が何かに抑えつけられているような印象だったのに対し(だからこそ地下鉄とのカーチェイスシーンの興奮が凄いのですが)、本作はとても濃いエッセンスを含んだスタイリッシュなものに感じました。

 日に焼けた空気と鉄の錆びた風を感じてしまう風景。近代的なイメージの強いロサンジェルスが別の顔を見せる中、そこでうごめくのは、すれた白人にアフロの黒人、ケバイ金髪女…。陽が傾く時間にはそんな街がまるで燃えているかの様に夕陽で真っ赤に染まる。そして完全に陽が落ちたロスの夜は、その闇は深くても、赤や青の原色が街を彩り、なにか派手さと禍々しさを感じてしまうもので、そんな風景をバックにかかるポップなBGMやタイトルのデザインと配色に、当時たまらなく”アメリカ”を感じてしまった自分がいました。

 当時はまだそれほど多くの映画を見ていない頃だったからでしょうか、とにかく新鮮だったその映像。そしてなにより非常に強く感じた光と影のコントラスト。それは街の陰影という以外に、そこに住む人間達にも感じられたものでした。それは全てを得た勝者と、全てを失った敗者が同居する世界。更にそんな正反対のものがひとつところに存在する、というか交じり合って混沌とするカオス的なものにも感じてしまう世界。そんなものが当時は、まさしく現代のアメリカというものを如実に映し出していたように思えたのです。それは、一億総中流家庭といわれた当時の日本からみて、怪しくも憧れを禁じえない存在に思えたのかもしれません。

 そう考えてしまうと、この映画の主人公のチャンスと敵である偽札犯のマスターズことエリックにもなにかそのような混沌としたアメリカを象徴しているものを感じます。シークレットサービスのエージェントであり、エリート捜査官であるはずのチャンスは、フライトジャケットにジーンズ、サングラスとラフな格好で、その外見通り感情のまま熱く犯人を追いかけます。捜査は、軽いフットワークをみせながらもとてもアバウトで、コディを逃がす場面などけっして優秀な捜査官とは描かれていません。女情報屋から情報を得るために彼女の弱みに付け込むなど、彼の行動はその影の部分に存在している反社会的なもののように見えます。

 対して、偽札犯のエリックは、ウイリアム・デフォーが演じていたから顔は悪人顔ですが、その犯罪の特性上、精密な技術と冷静な感覚を持った知的な人物として描かれています。また社会的な地位をもつ者としっかりネットワークをもっていて、捕まったコディを最初はあくまで合法的に解放しようとするなどその表面上の行動はあくまで社会的です。社会的な地位を認められているアウトローと社会的な装いで社会に埋没する反社会的な犯罪者。今ではそれほど感じませんが、これをみた当時はそんなものも、新しく巨大に膨らみながら同じスピードで病んでいく大国アメリカそのものに見えたような気がしました。

 しかしこの映画、そんなリアルに感じる構造など置いてきぼりにするくらいびっくりする展開を見せます。それが捜査のための前金を捻出するため、麻薬犯の5万ドルを奪うという後半。相棒の仇である犯人を憎む気持ちは分かりますが、そのためにとった行動が強盗というのですから驚きです。犯罪者だから奪われても何も言わないだろうとかそれはもう確信犯で、止めるブコビッチなどかまわず、取引現場を襲います。しかし、その時何者からの銃撃でそのバイヤーが殺されてしまう。そんな状況でもチャンスはかまわず5万ドルを奪い、追って来る男達から今度はハイウェイを逆走してまで逃走するのです。

 とても捜査官とは思えないその逸脱した行動。しかもそのバイヤーが実はFBI捜査官で囮捜査中だったことがわかって…。悩むブコビッチに対してまるで気にしないチャンス。この映画を観た当時はこのくだりのイメージがとても強く残りました。しかもそのあと、その金を持ち、エリックとの取引に出かけたチャンスとブコビッチなのに、いざ逮捕という場面でいきなりチャンスが銃撃され、殺されてしまうのです。

 確かに映画の終盤ではありますし、ラストで主人公が死ぬ映画も多いとは思いますが、全くの余韻も残さず、ライバルと刺し違えることさえ出来ないチャンス。無軌道につきすすんだチャンスと取引相手の裏を取ることも忘れないエリックの差なのでしょうが、あまりのカタルシスのなさに逆に驚いたくらい。エリックも逃走。映画はここで主人公を失い、その相棒である地味な印象のブコビッチが引き継ぐというこれまた意外な展開になったのです。

 ラスト、アジトに火を放つエリックをブコビッチが射殺します。エリックが炎に包まれることによって終焉するストーリー。しかし、全てが終わった後、女情報屋の前に現れたブコビッチは、サングラスにジーンズとチャンスそのままの出で立ちでした。そして、女情報屋に凄みのある声で言うのです。「俺の犬になれ」と。

 世代の交代、先人から引き継ぐもの、途切れることのない因果、などなど色々に思わせぶりではありますが、自分としては単純にブコビッチの変貌ぶりが興味深く思えたものです。この後彼がチャンスのように出鱈目な捜査官に変わっていくのか、すぐにボロが出るのか分かりませんが、どちらにしても人は何かを残し、そしてそのあとも残った人々とともに世界は続いていくんだなと、すこし心のひだにひっかかるようなラストでした。

 ところで、この映画の主人公の職業であるシークレットサービスといえば、やはりイメージは要人警護です。自分にも本作を当時見るまではこのイメージしかありませんでしたが、実際にはこの偽造紙幣の捜査も彼らシークレットサービスの担当。というか、もともと氾濫する偽造通貨を取り締まるためにこそ創られたのがこの機関で、所属が財務省だったのもそのため。経済問題は国家的危機と直結するのは今も昔も同じはずで、シークレットサービスを最初に発足させたのがあのリンカーン大統領というのですから、その歴史と国家的重要度も理解できるというものです。アンタッチャブルのエリオット・ネスも財務省の役人でしたから、日本の大蔵省とは間違ってもイメージを置き換られません。まあ、現在は国土安全保障省といういかにもという省の所属になってはいるみたいですが。

 ですから、偽造紙幣を作る偽札犯の描写はこの映画でも大きなウエイトを占めています。そんな中でも一番興味を覚えたのがその偽札を作るシーン。ほんとに綿密に描かれるこの映画での偽札製造シーンには、”なるほど偽札はこんな風につくるのか”と正直感心しました。まあ、もちろん犯罪ですからいけないのは承知していますが、強盗や詐欺、誘拐、殺人などのようなものと違って、何故か嫌悪感をあまり感じず、好奇心のようなものをくすぐられる分、どうしても興味を持ってしまいます。

 そんな偽札製造は、自分のそれまでのイメージでは”彫師が原版を彫刻する”というものでした。それまでの映画やTV、もしかすると「ルパン三世 カリオストロの城」(79年)のイメージが一番強いからかもしれません。この映画でも犯人は現代アートっぽい絵を描く芸術家の側面を持っていました。でも製造過程を見る限り、原版は写真製版によって作られていたようです。紙幣を撮影したネガの不要部分をベタで消したり、通しナンバーの部分を切り取ったりするカットなど見ると思いますが、その技術は芸術家というよりも職人のそれに近かったように思えます。ですからそうやって作る偽札には犯罪だとはわかっていながら思わず素晴らしい技術とその大変さも感じてしまったりするのです。

 この映画の原作は共同脚本も担当したジェラルド・ベディビッチ。この人は当時、現職の捜査官だったそうで、その緊迫感のある雰囲気はそこにも要因があるのかとも感じます。でも、ということはあの麻薬取引犯(と思っていた)への強盗などは実は本当にありえる話なのかと別の意味でも変な現実感を匂わせてくれました。どちらにしても犯罪に対しての強烈すぎる憎しみは紛れも無く現職の捜査官のそれなのだなと感じることのできた映画だったと思います。

 

 先程も書きましたがシークレットサービスといえばやはり要人警護。ということで次回はその要人警護をメインテーマで描いたタイトルもズバリそのままの映画「ザ・シークレットサービス」について書きたいと思います。

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